天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

作意(続)

 「歌壇」三月号を読んでいる。 文芸作品だから当然創作なのだが、作意がなんとも気になる。
前登志夫の作品10首「文語を生くる」は、従来パターンというか歌壇が期待するように作っているというか、「山人生活」の売りがどうも鼻につく。もうちょっとテーマを替えてほしいのだが。

  猟銃をつひに持たざる山人の家のあたりを昼の鹿ゆく
  庭先の山畑荒れてけものみちたが造りしやわれをいざなふ


巻頭作品二十首では、森岡貞香、蒔田さくら子、佐佐木幸綱永田和宏、今野寿美の諸氏が寄せているが、素直に心に沁みたのは、蒔田さくら子作品であった。作意が目立たず自然体であるところに好感を持つ。

  すこしづつ力が抜けてゆくやうにうすれゆく雲あれはわたくし
  水のごとく淡き交はりよしとたつ厨に洗ふ冬菜つめたき
  たいせつと思ふものいつかふえゐしに老いてどうでもよく
  なりてしまふ