天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

夕日の滝

夕日の滝

 この滝は大雄山の北西山麓にある。足柄峠の南西下に位置する。矢倉沢往還から足柄峠に通じる道は、古代の官道であった。日本武尊の軍勢も源氏の軍勢も通った。また菅原孝標の娘は、ここを越えたときの様子を「更級日記」に書き残した。平安中期の武人で源頼光の四天王の一人であった坂田公時は、夕日の滝近くの長者の家に生まれた。幼児の名を金太郎と言う。金太郎が力をつけた太鼓石、腰掛けて大鯉を釣った舟石、その大鯉を放した蘆刈池、金太郎の帰りを待って、母楓の方が腰掛けて待った石などが残る。もちろん、これらは観光のための演出である。
 夕日の滝は、酒匂川の支流内川にかかる高さ約23m、幅約5mの水流である。実に美しい名前だが、一説には、毎年1月15日の太陽が滝口の中央に沈むところから来たという。


      道の辺に猪の皮干す栗の花
      朝の日に白いやませる滝飛沫
      太鼓石前に一旒鯉のぼり
      姥の待つ腰掛石や鯉のぼり
      バス停の屋根に巣つくる燕かな
      

  運転手の背のガラス越しわが見るは光る早苗田たたなづく山
  運転手の背のガラス越しわが見るは遮断機くぐる日傘とバイク
  わがひとりバスに残りて矢倉沢雲の垂れたる地蔵堂まで
  いにしへの話を伝ふこの道の奥に続ける足柄峠
  金太郎生家跡地と書かれたり庭にそよげるもみぢと桜
  十頭の猪の皮干す道の辺に猟犬供養塔小さきが立つ
  吹き付くる滝のしぶきにいつしかに杉の木立は苔をまとへり
  風上に立ちてしぶきを逃れたりカメラに入るる滝の全身
  薄暗き杉の木立の滝壺に雲の切れ目の光さしたり
  舟石に腰かけ釣りし金太郎あしがり池に大鯉はなつ
  熊たちと夕日の滝にあそぶ間を腰掛石に姥は待ちしと
  怪力をきたへしはこの太鼓石注連縄張りて田の畦にあり
  地蔵堂前に腰かけバス待てば山谷越えて時鳥啼く
  雲去りて明るき道の矢倉沢老人ひとりバスに乗りくる
  大雄山駅のベンチに腰掛けて電車着く間をしばし居眠る
  遠ざかる大雄山と矢倉岳さらにはるけき足柄峠
  ゆたかなる女の胸を見るうちに五百羅漢の駅に着きたり
  バスが揺れ遊行寺坂に目覚むれば目に鮮しきあぢさゐの青