天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

姫あじさい

明月院にて

 紫陽花の季節になった。そうなると毎年の行動パターンは決まってしまう。今年は先ず北鎌倉の明月院に行く。ちょっと早いかなと思ったが、やはり咲き始めであり色がまだ淡い。明月院の紫陽花は、日本古来の姫あじさいで統一されている。
紫陽花のルーツといえば、額紫陽花が母種のようで、他はそこから派生してきたらしい。ユキノシタ科の落葉低木。

万葉集には、次の二首が載っている。

  言問はぬ木すら紫陽花諸茅等が練の村戸にあざむかえけり
                       大伴家持
  紫陽花の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲はむ
                       橘諸兄
現代短歌から次の二首をあげておこう。

  森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
                       寺山修司
  あじさいの花の終りの紫の濡れびしょ濡れの見殺しの罪
                       佐佐木幸綱


      予備校の鬱いや増せる夾竹桃      
      紫陽花や人ひき寄する谷戸の寺
      姫あぢさゐ日本古来の色に咲く
      円窓に遠望したり花菖蒲
      空の青姫あぢさゐの花にあり
      はなやぎて枯山水躑躅かな
      教育の荒廃嘆けほととぎす       
      溜池につばめ腹うつ波紋かな

      
  どやどやと生徒らが来て騒ぎ去る嘆きは深き紫陽花の寺
  門前に立ちて奥処をのぞき見る花見えざれば引き返したり