天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

ビヨウヤナギ

未央柳

 未央柳。オトギリソウ科の半落葉性の小低木。中国原産で金絲桃ともいう。良く似た花に金絲梅がある。やはりオトギリソウ科の半落葉性の小低木で中国原産。


 龍太俳句の特徴のひとつに、季重なりが多いということがあげられる。これは、三橋敏雄が指摘していたことであるが、15%にもなる(「飯田龍太読本」、「俳句研究」昭和43年6月号)。三橋の解釈を要約すると、龍太俳句の季重なりは、推移する季節の微妙な気息に触れて、解すべからず、味わうべしの妙境を、読者に与えてくれる。ここに飯田龍太の抱懐する自然観に関る新しい時間造型の試みの成果を見出す。時間造型とは、時間の経過を目に見えるように言いとめる趣であると三橋は定義している。


      春すでに高嶺未婚のつばくらめ
      雪の峰しづかに春ののぼりゆく
      豊年や蜘蛛が自在す青芒
      五月なほ雪舞ふ国の山ざくら

      
 龍太自身は季語について、先人の貴重な遺産であるから、それなりの敬意を払って使用すべきもの、大切な上にも大切にして、遺産に一段と輝きを加えるべきである、と述べている(昭和40年3月21日 毎日新聞)。

 俳句を作る上の約束では、「季重なり」を避けることになっているが、郷土に住む龍太の日常実感として、ダイナミックな季節の移り変りを詠みとめるには、「季重なり」はごく自然な要請であったと思われる。つまり「季重なり」を認めない、となると生動する自然を表現することは、困難になるのである。龍太には、実態にそぐわない文芸上の約束には縛られない柔軟さがあった。