短歌と比喩
洋の東西を問わず、時代の古今を問わず、詩の本質は比喩にあるといってよい。佐佐木幸綱著『万葉集の〈われ〉』角川選書を読んでいるが、あらためて短歌の本質も比喩なのだ、ということを思った。当たり前のことで、何をいまさら、となるのだが、実際に短歌を作る時に、このことを意識するとしないとでは、作品の質が変ってくる。
万葉集以前の歌に暗喩が使われている、と佐佐木は指摘する。例えば、文字の練習に使われた次の歌。
日本書紀によると、裏に、おおさざきのみこと(後の仁徳天皇)に、今こそ帝位につくべきです、とすすめる意味がある。和歌には、本来、このような意味の二重性があり、故に風雅・風流の文芸になりえた、と佐佐木は解説する。
そこで、嶋岡 晨著『イメージ・比喩 短歌の技法』飯塚書店を参考にしつつ、直喩は省略して、写生から暗喩へ深まる例を以下にあげておこう。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
源 実朝
冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ
正岡子規
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
斎藤茂吉
彼岸に何をもとむるよひ闇の最上川のうへのひとつ蛍は
斎藤茂吉
渡らねば明日へは行けぬ闇緑のこの河深きかなしみの河
小島ゆかり
母の内に暗くひろがる原野ありてそこ行くときのわれ鉛の兵
岡井 隆