天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

やぐら

ムラサキシキブ

 漢字では、矢倉・谷倉・矢蔵・屋蔵・窟などを当てる。中世の横穴式墳墓のことである。鎌倉を中心に、13世紀末から14世紀にかけて造られた。山腹の崖に掘られている。これは鎌倉の地形に深く関係している。三方が山に一方が海に面している狭い平地では、十分な墓地を確保できなかった。「瓜ガ谷やぐら群」、「瑞泉寺裏山やぐら群」、「高時腹切りやぐら」、「網引地蔵やぐら」、「佐竹矢倉」などをはじめとして、大小いくつもある。
 鎌倉時代末期の戦では、敗戦の主従がやぐらに逃げ込んで、そこで自刃する事態が相次いだ。「高時腹切りやぐら」や「佐竹矢倉」がそうであった。墓地を死に場所とするのだから、随分合理的な考え方である。あるいは鎌倉武士の間では、そうした行為を負け戦の作法としていたのであろうか。なお、鎌倉には土牢もいくつかある。


      頼家の息女の墓や笹子鳴く
      萩の寺紅毛碧眼合掌す
  
  瓦礫敷く鉄路の脇に何気なく「六万ボルト」の標識が立つ
  百日紅ちりしく寺に威を張れり五郎入道正宗の碑は
  本堂に法要の鐘ひびかひて猫ねころべる谷戸の寺庭
  逃れきて自刃せしとふ十三人佐竹矢倉の闇に鎮もる
  みずからの墓所と決めしかもののふ谷戸の矢倉に自刃して
  果つ


  いつきても新しき花供へあり木立の中の大塔宮
  カーテンを閉めて昼食とるらしも観光ゆるす寺の受付