「切れ」の由来(3)
ところで現代短歌においても「切れ」の手法は極めて重要である。切れの前後の展開で叙情の質が多様に変化するからである。和歌の時代、第3句(腰の句)と第4句との間にこの「切れ」があからさまであったり、断絶した感じを与えると腰折れといってヘボ短歌にされた。しかし、これは現代短歌では、むしろ積極的な評価の対象になっている。飛躍が好んで鑑賞されるからである。飛躍のない短歌は、刺激が少なく、叙情に流れすぎるか逆に散文的になるかの危険性がある。
前衛短歌の代表歌人二人からそれぞれ二首づつ例をあげておこう。「切れ」による飛躍が大きいため、難解だが。
梅雨夕映つめたき紺の下半身 馬の欲するものわれも欲る
塚本邦雄
死海に泛かぶことも生 わが真昼間の眠りの底に五月祭過ぐ
或るひとりさえ愛しえて死ぬならば月光に立ち溺るるボンベ
岡井 隆
あたたかくなりたる宵に腓(ふくらはぎ)やわらかき妻
水の上の藤