天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

こゆるぎ

腰越の海鵜

 湘南海岸に、こゆるぎという地名は二箇所ある。大磯町付近の海浜と鎌倉腰越付近の海浜である。前者は、「小余綾の磯」という歌枕になっていた。腰越の方にはこゆるぎ小動神社がある。文治年間の源平合戦の際、佐々木盛綱が領国近江の八王子宮を勧請した鎮守。相模風土記には、「文治年中、佐々木盛綱当山に詣で老松の辺に至るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く。その妙音琴瑟の如し。天女遊戯の霊木なり。」と出ていたらしい。
 ちなみに、「こゆるぎの」は磯にかかる枕詞になっている。


      枯芒白くかすめる富士の峰
      下書きの腰越状笹子鳴く
      こゆるぎの磯に干したる若布かな

  
  あからひく朝の光が濡らしたる水面まぶしき片瀬浜波
  潮騒の絶えざる浜に竿振りて師走ひと日を魚釣りにけり
  町ごとの神輿納めて鎮もれり笹子鳴くなる小動神社
  朝の日に黒き影なす腰越の海鵜の群とサーファーの群
  逆光の波にサーファー立ち上る満ち潮しぶく腰越の海
  トンネルの小暗き壁になまめける阿弥陀如来不動明王
  脱け殻のウエツトスーツが階段の手すりに懸かる腰越通り
  朝採りの若布干したる腰越の浜にひびかふ春の潮騒