はじめに言葉ありき(2)
近代の俳句や短歌では、客観写生が主流であった。つまり、初めに風物ありき、であった。これに真っ向から対立した行き方が、初めに言葉ありき、の作法である。その旗手として高屋窓秋をあげよう。彼は水原秋桜子の「馬酔木」に属しながら、吟行による句作はせず、もっぱら机上で俳句を作った。彼の言葉「吟行を経験して、嘱目即吟はつくづく性に合わぬものと覚悟した」が証明している。更に三橋敏雄の解説を引用すれば、「もちろん新興俳句の推進はさまざまな系統に分けられようが、窓秋のそれは、従来の写生主義による、いわゆる「花鳥諷詠」俳句とはまったく異なる言語空間の認識に基づく方法論の下に推進されている。」
それぞれの言葉が纏う文化・情緒の組合せで、換言すれば言霊の働きで独自の詩情を生み出した。すばらしいと感じる作品がある一方で、難解かつ独りよがりと思える作品も多い。次にいくつか例をあげる。
頭の中で白い夏野となつてゐる
雪の白音のしづかに降る死かな
三角波が話すと言へば子も話す
波手あげインクの海が深くある
帆が逃げてゆく森隠る秋乙女
冬の絵や木より草より童女消ゆ
一句は、窓秋を代表する名句。二句も佳い。三句もメルヘンと思えば分かる。四句以下は難解。