天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

さまざまな直喩(1/13)

富士見書房から

はじめに
古来、伝説や神話において比喩は多用された。比喩は洋の東西を問わず文芸の原初的基本的修辞法であった。わが国の和歌の歴史(古事記、日本書記に現れる記紀歌謡から現代短歌まで)にも比喩の展開を見ることができる。
俳句は、わずか十七文字の最短詩形であり、比喩の役割・効果は絶大と云える。仁平勝が言うように、「俳句では、比喩それ自体が作品のテーマであって、すぐれた比喩を生み出すことがそのまま作品の価値なのである。」
本評論では、比喩の内、直喩に焦点をしぼり、十三人の作家の句集につき、直喩の使用状況を分析して、江戸期から現代までの変遷・拡張の状況を見てみたい。直喩の俳句は、取りも直さず取合せの俳句であり、直喩を検討することは俳句の王道を探ることになる。
直喩の構造は「AはBの如し」と要約できるが、本文では、A部を直喩の対象、B部を喩、「如し」の部分を狭義の表現、と呼ぶことにする。
分析の対象
先ず本評論の分析の対象にした十三人につき、その理由を簡単に述べておく。
松尾芭蕉与謝蕪村小林一茶の三人は、江戸期において俳諧・発句の初期から爛熟期を代表する俳人であり、それぞれに教養と生活環境に特徴があり、作品に反映されている。正岡子規高浜虚子は、発句を俳句として独立した文芸に定義し直すと共に、客観写生、花鳥諷詠へと近代俳句の大きな流れを作った。川端茅舎と松本たかしは、虚子の愛弟子として方法論の展開を見るのに好都合である。山口誓子は、都会的な素材、知的・即物的な句風、映画理論に基づく連作俳句の試みなどにより、新興俳句運動の旗手の一人になった。中村草田男、川崎展宏は、国文学を専攻した立場から、江戸期俳諧との関連あるいは影響を見る上で興味がある。田中裕明は、早世したが現代俳句の将来を嘱望された俳人であり、俳句の伝統をふまえた瑞々しい句風が参考になる。夏目漱石芥川龍之介は、比喩を本領とする小説家の俳句の比喩の扱い方に注目したい。
分析の対象に選んだ句集は、できるだけ生涯作品を含み、その人の俳句の特徴が反映されているものであること、また句数としては数千句程度であることを基準にした。それらは文末の参考文献にあげてある。


[注]このシリーズで扱う直喩は、俳句の場合です。