天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

東慶寺の夏木立

北鎌倉・東慶寺にて

 炎天下の北鎌倉の緑陰はオアシスである。殊に東慶寺は気持が安らぐ。高名な文化人の墓を見て廻ることで時間が経つ。


    田村俊子文学碑
       この女作者はいつも
       おしろひをつけてゐる
       この女の書くものは
       大がひおしろひの中から
       うまれてくるのである

    四賀光子歌碑
       流らふる大悲の海によばふこゑ時をへだてて
       なほたしかなり  東慶寺開山覚山尼讃歌                      
       九十年生き来し己れか目つむれば遠汐さゐの
       音ぞきこゆる

    太田水穂の歌碑
       何ことを待つへきなら志何こともかつがつおもふ
       程は遂げしに

    佐佐木信綱の歌碑
       雲に問へはくもはもたせり風にとへはかせなかれ去る
       いかにせましや


 周知のように、東慶寺は、1285(弘安8)年に北條時宗夫人・ 覚山尼 が創建、縁切寺法を作ったことに始まる。離婚希望者が東慶寺に入り、3年間修行すれば、女性からの離縁が可能となった。この制度は明治時代に廃止されるまで約600年間受け継がれた。離縁状も保管されていて見ることができる。明治36年、尼寺から臨済宗円覚寺派の寺(臨済宗円覚寺派 松岡山 東慶寺)となった。


      なでしこや駆け込み寺のそのむかし
      墓洗ふ母とふたりの娘かな
      句碑建てて墓に納まる蝉しぐれ
      茅葺の垣根あからむをみなへし
      つくつくし田村俊子の墓とのみ