左義長
さぎちょう。古くは、三毬杖、三鞠打などと書いた。宮中では、正月15日と18日に清涼殿東庭に毬杖(ぎっちょう)を3本立て、うたいはやしながら焼いた。民間では、小正月に行われる火祭り行事の「どんど焼き」になった。俳句では、新年の季語。
山風に焔あらがふ磯どんど 上田五千石
川上に闇つまりたるどんどの秀 宮坂静生
左義長の闇を力に火の柱 檜 紀代
燃えのぼるどんどの炎丈(じやう)を越えず一瞬のものなほ貧しけれ
斎藤 史
左義長のほむらにありし女の雛が燃えゆくとしてまなこひらきぬ
西村 尚
大磯の左義長は、江戸時代から続く風習で、当日は早朝から正月のしめ飾りや門松、書き初めが集められ、子どもたちも地域総出でサイトを組み立てる。これが燃える火で団子やもちを焼いて食べれば、一年を無病息災で過ごせるという。晩年を大磯で暮した島崎藤村は、この左義長が好きだった。
地区ごとにどんど焼くなり浜の闇
左義長のはじけて闇を濃くしたり
左義長のはぜて人影あらたまる
左義長の焔の先にオリオン座
左義長の火にかざり餅かざすなり
藤村が好みしといふ左義長を今宵わが見るこゆるぎの浜
午後七時の点火を待ちて浜風のつめたきに耐ふ焚火囲みて
左義長の点火を待ちて一月の星空見上ぐ潮騒の浜
地区ごとに組みしサイトに点火せり炎の立てば歓声あがる
左義長の炎いくつも立ち昇り漁火かすむ大磯の浜
飾り餅竿先につけ左義長の炎にかざす黒き人影
真裸にまはし着けたる若衆が海に駆け込む燃えかす引きて