天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

報徳博物館

村巡回時着用の打裂羽織

 小田原城の敷地には、報徳二宮神社があり、県道を隔てて向かいに報徳博物館がある。ここには、二宮尊徳関係の資料や遺品などが多数収蔵されている。二宮尊徳(公文書では金次郎、自署は金治郎)は、1787年小田原市栢山の農家に生まれた。十四歳で父を、十六歳で母を失った。酒匂川の再三の氾濫で田畑も流された。家は没落し、伯父の家に預けられるが、二十四歳までに自家再興を成し遂げる。その後、小田原に出て、武家奉公人になり、奉公先の小田原藩家老服部家でその才能をみとめられ、服部家の財政を建て直した。この成功により小田原藩内で名前が知られるようになる。こうして各地の大名・旗本たちの財政再建や農村の総合的復興に尽力し、1856年に栃木県日光市今市で亡くなった。
「報徳」の教えに
  経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である
という言葉がある。また、至誠勤労分度推譲は、今の日本人に欠けている重要な哲学と思う。

     尊徳の呉汁を食す楠若葉


  尊徳の古びし羽織仰ぎみて財政赤字の今を憂ふる