朝顔の歌(2)
現代短歌で詠まれた朝顔の歌もいくつかあげておこう。高野公彦の歌は最もよく知られた例である。
江戸川区鹿骨よりぞ運ばれて藍すずしかる市の朝顔
蒔田さくら子
存在を紺に絞りてさだめなき世に朝顔の初のいちりん
蒔田さくら子
あさがおは朝虚ろの口を開くああというほかなき息をはく
松平盟子
皺みつつ朝顔萎えて口閉ざすなにもなかったことにしましょう
松平盟子
みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき
高野公彦
ところで、この高野の作品、下句の構造から前衛的な比喩の歌として見ると難解になる。作者の身の回りの実景を、忠実に言葉を選んで詠んだ、と解釈すれば、鑑賞は容易。ポイントは、「北半球」という一語の選択にある。ここを例えば、「わが家の庭に」とすると、まことに卑近で分り易い歌になる。そこを「北半球」とすることで、詩のレベルがぐんと高くなったのだ。この歌は、作者三十五歳の時に発行した最初の歌集『汽水の光』に載っている。三十歳にして次女が生まれているので、歌の「みどりご」は、身近にあったと考えてよい。短歌や俳句を作る際の要諦を示した例である。