天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

平櫛田中

田中旧居の庭の彫刻用楠

 彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)が晩年を過ごした家が、小平市にある平櫛田中彫刻美術館になっていて、9月10日から10月17日までの期間、「岡倉天心と日本彫刻会」と題した展示がなされている。そこに行って来た。もっとも印象的だったのは、玄関先の庭に残されている楠の原木である。推定樹齢500年、直径約1.9メートル、重量約5.5トン。平櫛田中が百歳になってから、彫刻用に購入したもので、横山大観や武原はんの像を制作するつもりであったという。


  街路樹の影を伸ばせる午後の陽に紫式部、キバナコスモス
  養子家と実家の姓を合はせたる平櫛田中彫刻家の号
  菊五郎が裸形に示す鏡獅子それを見つめて石膏は成る
  弓矢もつ精緻な像は好まれず弓矢もたざる荒彫りの像
  構内の天心像に礼をして講義に行きし田中の日々
  尊敬の念やみがたく彫りしとふ岡倉天心金色の像
  九十をすぎし平櫛田中のつひの住み家にアトリエはある
  百歳の田中が女人彫りたしと買ひし五トンの楠のこりたり
  観世音菩薩を彫りて日々拝む百七歳で逝きし田中


[注]
  (1)平櫛田中(明治5年1月15日 〜 昭和54年12月30日): 
      高村光雲荻原碌山朝倉文夫などと並び、日本近代を
      代表する彫刻家の一人。岡山県後月郡西江原村(現・井原市
      西江原町)の田中家に生まれる。明治15年広島県沼隈郡
      今津村(現・福山市今津町)の平櫛家の養子になった。
      明治末期から大正初期にかけて、東京藝大の基礎となる
      東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した。
  (2)武原はん(明治36年 〜 平成10年): 
      昭和期に活躍した上方舞の日本舞踊家