天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

早春賦―鎌倉長谷―

御霊神社にて

 今年の鎌倉歩き始めとして、江ノ電に乗り、極楽寺成就院、御霊神社、長谷寺、光則寺、収玄寺と廻った。長谷寺では、素心蝋梅、冬桜、冬至梅に出会えた。光則寺でも蝋梅が咲いていた。そして収玄寺の庭の片隅に、木瓜の花を見つけた。収玄寺は、日蓮に帰依した鎌倉武士・四条金吾頼基の屋敷跡であり、それは庭に立つ東郷平八郎書の「四条金吾邸跡」という大きな石碑で知ることができる。なお、東郷平八郎日蓮が広めた法華経の篤信者だった。鎌倉時代国難に立ち向かった日蓮と彼に従った四条金吾頼基を、明治の世の外圧に対処した東郷元帥は、心の拠り所としていたのであろう。
 御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、もとは鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の五氏の霊を祀った神社に由来する。が後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。境内には、景政の神霊を象徴する袂(たもと)石と手玉石がある。


     参道は掃き清められ花八つ手
     猛々し朝の光の水仙
     万両や千服茶臼の極楽寺
     忍性のお墓の上に笹子啼く
     注連飾り弘法大師の錫杖に
     清らかな水吐く龍や注連飾り
     ひよどりが突如啼き飛ぶ坂の空
     朝光の力餅家の松飾り
     江ノ電の警報機鳴る福禄寿
     山茶花の白きにむすぶ神籤かな
     蝋梅はかがやき布袋尊笑ふ
     扁平の仏足石に飾り餅
     はつかなる風うらじろの揺れやまず
     鎌倉や素心蝋梅花盛り


  江ノ電の一番前の席に見る片瀬江ノ島稲村ケ崎 
  啼きながらわがまなかひを上下して波に乗るごと鵯のとぶ
  袂石十六貫と手玉石二十六貫ならべて祀る
  あらたまの年に力を 袂石手玉石訪ふ御霊神社に
  朝晩に風邪藥のむ習慣を早くやめたい謹賀新年
  橙の中身器用にくり抜きて落さず去りしひよどりあはれ
  雌一羽雄二羽飼へる檻あれば孔雀の性をしばし思へり
  対向の電車待つ間をサーファーの波乗りを見る七里ケ浜に
  岸近く寄れば高まる波の上に立ち上がりたり黒きサーファ
  江ノ電の接近知らせ点りけりLEDの青きランプは
  気を制し健康たもつ相談は心身統一合気道