天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

迦陵頻伽

切手のデザインに

 「かりょうびんが」、サンスクリットの kalavinka の音訳である。仏教で雪山または極楽にいるという想像上の鳥。天女のような人頭・シギに似た鳥身。妙なる声で「若空無我常楽我浄」と啼く。仏の音声の形容ともされる。この空想上の鳥を詠んだ有名な歌がある。


  とほき世のかりようびんがのわたくし児(ご)田螺(たにし)は
  ぬるきみづ恋ひにけり         斎藤茂吉『赤光』

                        
迦陵頻伽の私生児が田螺という話の出所は不明。多分、茂吉の頭脳に閃いた空想であろう、と塚本邦雄は言う。そして『赤光』の中で最も愛する歌の一つだと言う。(茂吉秀歌『赤光』)
この歌をもとに長谷川櫂は以下の俳句を詠んだ。句集『初雁』より。


     乳房ある鳥の産みにし田螺かな
     田螺の子迦陵頻伽の乳恋し
     しづかなる水揺らしゐる田螺かな


 田螺も現在では、たやすく目に触れるものでないので、非日常のことを詠っているわけだが、現実に存在する田螺を主体にしていることと、切手になるくらいに昔から周知の想像上の動物を扱っているので、リアリティは薄れない。かえって興味を掻き立てる。