天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉探訪―土牢跡

長谷・光則寺にて

鎌倉の土地の成り立ちもあってか、土牢がいくつもある。護良親王が幽閉された東光寺の土牢(鎌倉宮)、日朗が監禁されていた土牢(長谷・光則寺)、日蓮が龍ノ口法難の際に幽閉されたとされる土牢(片瀬の龍口寺)、悪七兵衛景清が幽閉された化粧坂下の牢、木曽義仲の家来、手塚光盛の娘、唐糸が幽閉されたやぐら(大町釈迦堂口遺跡)などである。これらのうち、唐糸やぐらは獣道をとおってゆく不便な場所にあるので、まだ訪れたことがない。
また景清が幽閉されたという牢は、外観からは、まったく牢があったとは思えない。崖の一部が崩れて牢の形が失せたのかもしれない。「水鑑景清大居士」と「向陽庵大悲堂碑」の二つの石柱が立っている。


  光則寺墓地のはづれのふた所土牢なりし洞窟はあり
  土牢の日朗宛に気遣ひのゆきとどきたる日蓮の書(ふみ)
  明日佐渡へまかると言ひて土牢の弟子を気遣ふ日蓮の文
  許されて出牢ならば佐渡にきたれ急ぎきたれと日蓮は書く

  土牢に幽閉されし九か月のち引き出され首落とされし
  幽閉の身を引き出され去り際にうち捨てられし親王の首

  捕はれし悪七兵衛景清の無念をおもふ土牢跡に
  土牢の跡とも見えず大岩の重なりあひて断崖をなす
  捕はれし父に会はむと鎌倉へ下向したれど叶はざりけり
  囚はれし石牢の上に祀りけり父景清の守り本尊