富士の歌(2)
宝永大噴火後、富士山では大規模な火山活動はなかった。ただ、噴気活動は明治中期から大正にかけて、荒巻を中心に場所を変えつつ活発であったとされる。その活動も昭和に入って低下し始め、1960年代には終息した。現在山頂付近には噴気活動は認められていない。
現代短歌の富士には、火山のイメージはない。
たたなはる春山の上に現れぬ雪にましろき大いなる富士
窪田空穂
万葉の人ら知らざるこの角度機上にわれは富士を見てゐる
市村八洲彦
わが庭に降り積りたる白雪は真向ふ富士の上までつづく
藤岡武雄
白光を放ちて空に立てりけりたけく寂しく大き雪富士
葛原 繁
金泥の西方の空にうかみいで黒富士は肩の焼けつつ
立てり 上田三四二
暮れはてし冬田の上になほ見えて今日の輝きを収め
ゆく富士 長澤一作
北斎は左利きなり雨雲の上から富士を書きおこしたり
山崎方代
一の姫盗りて走りし雄ごころを恋うとき富士は堂々とせり
馬場あき子
初ひうひし富士のすがたや早春のおとめ峠の杉のむら立ち
山本保子
残雪の富士の肩身が昏れてゆく車窓に渾身の一日が終る
尾崎左永子
バスに行く道のなぐさに仰ぐ富士徐々に変へゆくその
山容を 三枝英夫
東京湾へ旋回したる飛行機の窓に富士あり眠気をはらふ
足立敏彦
存分に富士をば塗りてあまりある雪のゑがきし足柄の襞
中原綾子
遠景に一点白き富士ありてわれに新しき年始まりぬ
三枝昂之
ちさきこと言ふなと一喝さつさうと富士を呑みこむ
北斎の波 岩田記未子
日本の哲学であり神である大富士の山をろがむわれは
野村 清
あらざらむのちにわが名はよびすてよ 七つの鞘の
たなびく冨士に 佐竹彌生