神奈川の力石13
川崎市内に新田義貞ゆかりの神社があるとは知らなかった。社伝によれば、新田義貞公が延元三年七月二日、越前国藤島で討死の際、その臣亘新左衛門尉早勝が公の差添の名剣と七ツ入子の名鏡及び錦の陣羽織の三種の品を得てこの地に携えて帰り、ひたすら冥福を祈って供養したという。里人らも義貞の徳を追慕し廟所を作って、この地の鎮守とした。新田神社には義貞の銅像も据えられている。
バス降りて八幡神社の位置問へば媼は吾を導きくれし
大いなる鳥居のそばに力石ふたつ置かれて立札のあり
力石ふたつがありて左側三十六貫右は分らず
[新田神社]川崎市渡田
ブルドッグ引ける夫婦に道聞けば新田神社はすぐ
そこと言ふ
力石三つが置かれて朱の鳥居稲荷大明神の鎮まる
力石三つ見つむる背後には新田義貞公の銅像
力石三つのうちの中の石注連縄張られ左右より高し
[八幡宮]平塚市宮前
平塚の町のま中にみどりなす楠の木多き八幡の森
秋祭おはりし宮の境内にひとり探せるかの力石
力石いづこと問へど池の辺に首をかしぐる鴨や家鴨は
武蔵山が奉納したる力石右の手形と「武運長久」
所感:
あらかじめバス路線図を知ることが力石への一の関門