天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

世田谷の松陰神社(2)

復元の松下村塾(松陰神社内)

 この神社の沿革は次のように紹介されている。

 安政6年10月27日朝、評定所にて罪状の申し渡しがあり、その後伝馬町獄舎で松陰は処刑された。享年30。10月29日弟子たちにより小塚原回向院下屋敷常行庵に埋葬された。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬された。神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで、大夫山と呼ばれていたらしい。明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなった。今日の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたもの。


松陰が伝馬町獄舎で斬首された時の態度には、陪席した役人たちも感嘆したという。斬首を担当した山田浅右衛門は後年、次のように語っている。
「いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであった。悠々として歩き運んできて、役人どもに一揖(いちゆう)し、“御苦労様”と言って端座した。その一糸乱れざる堂々たる態度は、幕吏も深く感嘆した」


  松陰の説きし期間は二年半明治維新は弟子たちになる
  清々しき最後なりしと伝へたり首斬り役の山田浅右衛門
  松陰を誇りに思ふ政治家がしきりに憂ふ国の防衛
  松陰を誇りに思ふ政治家がオバマに薦む山口の酒
  今の世に吉田松陰出でまほし身すぎ世過ぎの政治家あまた
  松陰のごときもゐるかISIS(アイシス)の兵士募集に
  つどふ若者


 電車の中で徳富蘇峰吉田松陰』(岩波文庫)を拾い読みしたのだが、文語の文章がなんとも大時代的で現代の感覚にそぐわない。現代の若者を感動せしめるにはどのような文章がよいのだろうか。