天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

留魂歌(5/5)

角川選書から

 益荒男(ますらを)がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて
 今日の初霜              三島由紀夫
昭和四五年一一月二五日、東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部本部総監室を訪れ、総監を人質にとってバルコニーで自衛隊員に檄を飛ばした後、切腹した。「楯の会」の森田必勝が介錯して斬首。享年四五。歌は一見かっこ良さそうだが、その自刃の背景と同様に独善的時代錯誤である。
次は戦死の場合。三首を例にとる。公のための戦とはいえ、死ぬとなれば自分を納得させたいし、懐かしい過ぎし日のことを思い出す。
 埋もれ木の花咲く事もなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける
                      源頼政
以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画したが、露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ自害した。存分に戦えなかった無念さがにじむ。
 日の本をあや匂はせて逝く春とともに散らなむ若櫻花
                    佐々木八郎
学徒出陣の特攻隊第一次出撃兵で少尉。かっこよく死ぬことを自分に言い聞かせているようだ。
 母上よ消しゴム買ふよ二銭給へと貧をしのぎしあの日懐かし
                     石川誠三
グアム島から人間魚雷回天で出撃して果てた海軍中尉。母との貧しかった昔の生活を懐かしんでいる。この歌に母はどれほど泣いたことか。
この項の終りに刑死の場合をとりあげる。本文の最初に紹介した吉田松陰の歌のように、現世への執着心や悔しさが強く表れる。
 ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
                     大津皇子
謀反の罪で処刑された。享年二四。悲しみだけが露わである。
 風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとかせん
                  浅野内匠頭長矩
江戸城松の廊下事件により元禄一四年三月一四日、切腹。表面上は行く春を惜しんでいるかのような内容だが、「我はまた」に思いが籠る。
 たとへ身は千々に裂くとも及ばじな栄えし御世を落とせし罪は
                     東條英機
東京裁判の死刑判決に基づき、巣鴨拘置所にて絞首刑に処せられた。享年六四。彼の辞世はいくつかある。敗戦に導いてしまった罪を悔いる内容、もう一度チャンスがほしいといった内容、後悔はなくすべて弥陀の手に委ねるという内容など。悔恨と未練と諦めの心情が交錯したようだ。
遊離魂ならびに留魂の諸相と歌を見て来たが、花の散るさまになぞらえた様式的作品や思い残す事はない、といった潔い作品よりも執着心や無念さ、悔しさを表現した作品に、より強い魅力を感じる。