以下にあげるそれぞれの作品は、目前の景色と心情とがよく融合していて、現代人にも共感を呼ぶだろう。ただ「雲のはたての夕暮の空」や「行方もしらぬ空のうき雲」といった表現は、もはや気恥かしくて現代短歌には使えない。
山里の嶺のあま雲とだえして夕べ涼しき槙のした露
後鳥羽院『新古今集』
なき人の形見の雲やしぐるらん夕べの雨に袖はみえねど
後鳥羽院『新古今集』
ながめ侘びそれとはなしに物ぞ思ふ雲のはたての夕暮の空
源 通光『新古今集』
我が恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方もしらぬ空のうき雲
源 通具『新古今集』
さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事しらぬ花し匂はば
源 経信『新古今集』
都より雲の八重だつおく山の横川(よかは)の水はすみよかるらん
村上天皇『新古今集』
夕なぎに門渡る千鳥波間より見ゆる小島の雲に消えぬる
徳大寺実定『新古今集』
君があたり見つつををらん伊駒山雲なかくしそ雨はふるとも
読人しらず『新古今集』
[注]右上の画像は、
「徒然ピータン・秋の雲の種類特集」
http://h-mahoroba.net/?p=1204
から借用した。