天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌集からー人名(1/6)

     西行

  書を習ふリハビリの手の定まりて水茎の跡西行の歌

  夏木立西行庵は小さかりき座禅組みたる木像ひとつ

  チェーンソーの音の湧きくる杉木立西行庵を間近くにして

  西行のたどりし道はいかなるや峰を見上ぐるこでまりの花

  西行芭蕉は如何に渡りけむこの波荒き伊良虞(いらご)水道

  西行が庵かまへし場所なべて表を避くる裏山の陰

  西行は視線を遠く置きにけむ老いて厭はぬみちのくの旅

  せはしなく街道ゆける人の世に笠をあみだの不二見西行 

  潮風に吹かれふかれて痩せにけり西行法師笠懸けの松

  尋ね来て車を停むる茶屋の跡道の辺に見る西行の歌碑

  西行がたどりし道の両側に茶畑を見る小夜の中山

  西行の足腰に及ばざりしかば足跡を追ふ電車、タクシー

  梅雨に入る桜青葉の山蔭のまろき墳墓に西行を訪ふ

  西行と別れてバスを待ちをりし金剛バスの終点「河内」

 

     藤原定家

  うぐひすの声ひびかへる谷戸の朝定家かづらは白き花咲く

  相国寺墓地入口の左手に定家、義政、若冲ならぶ

  月蒼き夜は定家に出会へるか烏丸通り御所に行く道

  京の餓死者道に満つるをよそに見て初学百首を定家は詠みき

  競馬にも和歌にも定家をひきまはすホモ・ルーデンス後鳥羽上皇

  宮廷の有職故実のあれこれをこまごま記す定家の日記 

  荘園を除目代りに約したり定家をおもふ姉のはからひ

  後鳥羽院、定家ら歌人の集ひける水無瀬の里は電車が通る

  超新星爆発と知る後の世に藤原定家の名も知られたり

  長命の先祖四十六名を書きならべたり長寿の定家

  それぞれが二十七人の子をなしぬ父・俊成と息子の定家

  時雨亭跡とも伝ふ厭離庵定家塚とふ五輪塔あり

  時雨亭跡訪ふ山にしぐれきて歌を選びし定家しのばゆ

  後鳥羽院の怨みつらみを鎮めむと定家の選りし百人一首

  幾たびか住まひを換へて八十年病みがちながら定家生きたり

  御所近く葬られたれば安からむ藤原定家の墓に手合はす

 

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小夜の中山