天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

浜松・弁天島

弁天神社にて

 弁天島の周囲に人が住み始めたのは縄文中期以降とされ、弁天島湖底遺跡からは弥生時代の土器も確認されている。海進、海退、数度の大地震などにより、舞阪の西の端が切れ弁天島となったという。
1708年創建の弁天神社は、海上交通の安全を掌る市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)を祭神としている。境内には、正岡子規の句碑「天の川濱名の橋の十文字」と松島十湖の句碑「月や風や夏しら波の海と湖」が並んであった。少し離れて、茅原華山の漢詩碑「移棹休揺湖底天 芙蓉如夢蘸華巓 不関咫尺海濤壮 白鳥白帆相伴眠」(棹を移して揺かすを休めよ湖底の天 芙蓉夢の如く華嶺(かれい)を蘸(ひた)す 関せず咫尺海濤(しせきかいとう)の壮なるを 白鳥白帆相伴ふて眠る)もあった。
 弁天島を秋の夕陽が染めていた。


     鳥居立つ秋の夕陽の汽水域
     朱の鳥居秋の夕陽の後光なる


  浜名湖の朱き鳥居を遠のぞむ秋の夕陽の弁天橋に


[註]
 松島十湖: 明治、大正期の浜松市俳人。奇人として知られ、貧しさを
      喜び、人に施すことを楽しみにしていた。第二の芭蕉といわれ、
      全国に多くの門弟を持った。享年78。

 茅原華山: 本名・茅原廉太郎。明治・大正・昭和期の評論家、ジャーナ
      リスト。「民本主義」を初めて提唱した人物とされる。享年83。