天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

相模川(3/3)

広重の浮世絵

 先にふれたように相模川下流は馬入川と呼ばれる。もっともこれは昔の名残であり、現在、この名を使う人は少ない。平成十六年三月に平塚市が立てた「東海道 馬入の渡し」の立札によると、江戸幕府は、大きな河川に橋をかけることを禁止した。そのため、相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)は渡し船、酒匂川は「徒歩渡し」などで渡っていた。相模川には六十以上の渡し場があり、東海道では、「馬入の渡し」と呼ばれ、幕府が管理していた。負担は周辺の村々であった。渡し船には、人を乗せる「小舟」と馬が荷を積んだまま乗せる「馬船」があった。この他に将軍や大名用の「御召船」などが常時用意されていたという。
[参考]2011年9月16日 のブログ「馬入川」


      キチキチの怒り飛び出す河川敷


  競輪場はどこのバス停で下りるかと運転手に訊く老婆なりけり
  はじめてのわが賭けごとの競輪場老婆の後に従きて入りたり
  持ち金の失せてしまひし競輪に望み絶たれて泣く月見草
  南方に台風あれば出でがたし須賀の港に漁船ひしめく
  潮引きて砂洲現るるひとときを共にいこへり河鵜とカモメ
  虫捕ると網振り回すをさな児を虫籠もてる母が見守る
  金あらばオート免許をとらすらし陸(くが)にならべる
  プレジャーボート


  そのかみの馬入の渡し碑はあれどタブの木立は見る影もなし
  露ふふむアカツメグサをふみ行けば怒れるごとくキチキチが跳ぶ
  一羽発ち五、六羽発てばいつせいに飛び立ちにけり砂洲のカモメは
  エプロンがたち働ける真昼間の河口に舫(もや)ふ夕涼み舟
  見えざればフロントガラスにぶち当りすべり落ちたる蜂のかなしも


 初代安藤広重東海道五十三次の内「馬入川渡船」の画賛には、次の歌が書かれている。

  大磯へいそぐえき路のすずのねにいさむ馬入の渡し船かな