天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

匂い・匂うの歌(1/8)

 匂いの意味としては、照り映える色、雰囲気、香り などがある。その動詞形が匂う。語源は「にほ(丹秀)」に語尾「ふ」が付いたもの。「に(丹)」は赤、「穂(秀)」は抜きんでて現れている、とされる。以上は辞書からの情報。

  黄葉(もみぢば)のにほひは繁し然れども妻梨の木を手折(たを)り

  挿頭(かざ)さむ          万葉集・作者未詳


  石竹花(なでしこ)が花見るごとに少女(をとめ)らが笑(ゑ)まひの

  にほひ思ほゆるかも        万葉集大伴家持


  雄神川(をかみがは)紅にほふ少女(をとめ)らし葦附(あしつき)採ると

  瀬に立たすらし          万葉集大伴家持


  春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)
                   万葉集大伴家持
  見渡せば向(むか)つ峰(を)の上(へ)の花にほひ照りて立てるは

  愛(は)しき誰(た)が妻        万葉集大伴家持


  橘のにほへる香かも霍公鳥(ほととぎす)鳴く夜の雨に移ろひぬらむ
                   万葉集大伴家持
  玉津島磯の浦廻(うらみ)の真砂(まさご)にもにほひて行かな妹が

  触れけむ           万葉集・柿本人麿歌集


  わが待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな遠方人(をちかた

  びと)に            万葉集・柿本人麿歌集

 

 一首目: 表向きの意味は、「紅葉の色美しい木々が茂っている。でも、私はつまなしの木を折ってかざしにしよう」だが、「妻梨」は掛詞で、木の名のナシを”無し”にかけ、夫の無いことをいったもの。よって裏の意味は、「美しいもみじのごとき女は多いが、私は夫のない女を手にしよう」という。
 二首目から六首目までは大伴家持の作品だが、彼ほど「匂い・匂うの歌」を多く作った歌人は、他にいないのではないか。誰か調べた人はいないだろうか。四首目は特に有名で、教科書にも出ている。三首目の「葦附」とは、清流に自生する緑褐色で塊状の寒天様藻類のこととされる。また雄神川は、富山県庄川の古名。
 柿本人麿の初めの歌の「にほひて」は「染まる」という意味で、全体は「玉津島の磯の浦辺の白砂に染まって行こう、亡くなった彼女も浴びただろうその白砂に」ということになる。なお玉津島とは、和歌山市和歌浦の古名で、かつては島だった。
 柿本人麿の二番目の歌の「にほひ」は愛しい人の香に染まる、という意味になる。従って全体は、「待っていた秋萩が咲いた。今こそあの人の色に染まりに行こう、川向こうのあの人の肌の香に染まろう。」という。

 

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