鎌倉探訪―由比ガ浜
滑川河口の西側の海岸とその周辺を「由比ヶ浜」、東側を「材木座海岸」と称している。
鎌倉時代には激戦地であり裁判の結果の処刑場でもあった。静御前が産んだ源義経の男児は、頼朝の命によりこの浜に遺棄された。また源実朝は、渡宋を思い立ち、陳和卿に唐船の建造を命じたが、由比ガ浜から海に向って曳いた船は浮かばず、そのまま放置され遠浅の砂浜に朽ちたという。
材木座海岸沖には、相模湾を通して鎌倉と物資をやりとりするための港・和賀江島が築かれた。干潮時には岬の突端から西方に200メートルほどにわたって巨石の石積みが見られる。
鶴ケ丘八幡宮へ一直線由比ガ浜から若宮大路
そのかみの刑場ありし由比ガ浜義経の児も遺棄されしといふ
いまもなほ鎌倉時代の人骨が工事の折に現はるといふ
春潮に隠れて見えぬ和賀江島サーフィンヨットの集へるあたり
潮引けばはつかあらはる和賀江島船の出入りの港なりしが
白波の渚続ける由比ガ浜ハクセキレイと犬も歩ける
富士の嶺が切通しからのぞきたり白さ競ふか由比ガ浜波
実朝の夢に造りし唐船は浮かばざりけり由比ガ浜沖
宋に行く夢もて船を造りしが船は浮かばず朽ち果てにけり
浮かばざる船を造りし陳和卿ゆく方知れず船は朽ちたり
実朝の首塚といふ鎌倉をはるか離れし秦野の田原
実朝の首塚の辺に信綱の書になる歌碑は「親の子をおもふ」
「おしるこ」の赤き布切たれさがる線路またげば由比ヶ浜駅