天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(24)―

鎌倉・高徳院にて

  寺々のかねのさやけく鳴りひびきかまくら山に
  秋かぜのみつ         金子薫園『朝蜩』


 歌碑が鎌倉の高徳院に立っている。裏面に、昭和七年十月。薫園の主宰する歌誌「光」の十五周年に際して記念として門人等相計り之を建つ とある。薫園は鎌倉の滑川に近い材木座の海岸に別荘を持っていた。鎌倉でも歌会活動などを行っていたのであろう。
 金子薫園、本名・石橋源太郎は、明治九年に東京神田に生れた。落合直文のあさ香社に入門し、和歌革新運動に参加する。明星派に対抗して「白菊会」を結成し、自然叙景の歌を提唱した。口語自由律短歌も手掛けた。戦後1948年には日本芸術院会員となる。歌集に『片われ月』、『覚めたる歌』、『白鷺集』、『朝蜩』などあり。昭和二十六年に七十四歳で亡くなった。掲出の歌でも以下にあげるいくつかの歌でも分るように、温雅で静かな歌風に特徴がある。


  鳥のかげ窓にうつろふ小春日を木の実こぼるる音しづかなり
  雨の日の室にちらばる枇杷のたね哀しきことをしきりにおもふ
  硝子戸に見ゆるかなたの冬ざれの東京湾のたかき帆ばしら
  多摩川の川原に立ちて暮れぎはの遠く明るき山脈を見る
  草山にのぼれば秋の一すぢの多摩の流れの白きをちかた
  夕ぐれのがらんとしたる一室に紅き林檎の投げられてあり