天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉材木座

和賀江嶋跡

 由比ヶ浜から材木座海岸まで海辺を歩き、ベンチに座ってしばらく満潮時の和賀江嶋旧蹟を眺めた。根石のみが残ってみえる。そこから光明寺へ行き、三尊五祖来迎之庭を拝観、さらに安国論寺から八雲神社へとたどった。
 材木座の由来は、鎌倉時代に和賀江嶋を港として材木の取引が盛んな座(市場)があったことによる。材木座海岸は、明治期に海水浴場となり、夏目漱石の『こころ』にも描かれている。初めの場面を、次に引用しておく。


 「私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私は
  まだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に
  行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、
  私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。」


     沖をゆく片帆のむれや時頼忌
     秋風や根石のみなる和賀江嶋
     漁終へし白子舟着く和賀江島
     秋ふかみ三尊五祖の庭を見る
     敗荷を浄土の風が吹き鳴らす
     扁平の仏足石や杜鵑草
     楠若葉根方にふたつ手玉石


  腰越の空のかなたに黒ずみてかすめる富士に冬の近づく
  黒潮のしぶく根石の和賀江嶋漁を休める釣舟二艘
  根方には新羅三郎手玉石楠の梢を秋風の吹く
  国政を時の首相に指南せし土光がねむる安国論寺


 実はこの記事の内容は、立冬の頃のもの。毎年、建長寺勤労感謝の日に時頼句会が開催され、私のところへも案内状が送られてくる。「時頼忌」を詠んだものか自由詠かで3句提出し、数人の俳人の選を受けるという趣向。今年も参加するつもりで予め句を作っておこうと、吟行した次第。結局、時頼句会には出席しなかったのだが。