天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

子規と野球

正岡子規記念球場(webから)

日本に明治期に野球が紹介されてすぐに夢中になったのが、正岡子規であったことはよく知られている。「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」「ショートストップ」などの外来語に対して、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの翻訳案を考案している。そうした功績により2002年(平成14年)に、野球殿堂入りした。
子規が詠んだ野球の歌には、以下のような作品がある(歌集『竹乃里歌』岩波書店所収「ベースボールの歌」九首、明治31年)。
ちなみに東京都台東区上野恩賜公園内には正岡子規記念球場がある。草野球ができる程度のもの。子規の随筆「筆まかせ」の中に、明治23年3月21日午後、上野公園博物館横の空き地で試合を行ったことが書かれており、その時子規は捕手を守っていたことが分かる。


 久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは面白きかな見れど飽かぬかも
 國人ととつ國人とうちきそふベースボールは見ればゆゝしも
 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者はあらじ
 九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり
 今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな
 九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
 打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
 うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち來る人の手の中に
 なかなかにうちあげたるは危かり草行く球のとゞまらなくに


(注)野球を詠んだ短歌を、これまで多く取り上げてきたが、嚆矢は明治の正岡子規であった。
   周知のことながらここであらためて要約しておく次第。