野球を詠う
MLBのポストシーズン争いが面白かった。例えば、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンでの試合。テキサス7点タンパベイ3点で、テキサスのリリーフとして登板した上原浩治投手が、3ランを浴びてアッという間に7対6になった場面など、まことに人生の縮図を見ているように感じた。観戦していたテキサス・レンジャーズ球団のオーナー(ノーラン・ライアン)、上原を送りだしたワシントン監督とピッチング・コーチ、守備しているレンジャーズの野手、そしてレンジャーズ応援の観客そして上原投手自身 等それぞれの気持が一瞬のうちに痛感された。
髭面は縁起かつぎか上原がスリーラン打たれベンチに沈む
正岡子規は日本の野球殿堂入りしているように、明治期に野球を日本に根付かせることに貢献した。健康な時期にはキャッチャーとしてプレーした。俳句や短歌にも楽しく野球を詠んだ。
正岡子規の野球の俳句
正月や橙投げる屋敷町
春風やまりを投げたき草の原
まり投げて見たき広場や春の草
恋知らぬ猫のふり也球あそび
球うける極秘は風の柳かな
若草や子供集まりて毬を打つ
草茂みベースボールの道白し
夏草やベースボールの人遠し
生垣の外は枯野や球遊び
蒲公英やボールコロゲテ通リケリ
短歌については、『竹乃里歌』「ベースボールの歌」(明治三十一年)に九首がある。うちの四首をあげておく(順不同)。
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
今やかの三つのベース人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな
うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に
打ちはづす球キャチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
子規以降、「ナイター」が夏の季語になった。傍題に「ナイトゲーム」。
近現代を通じて野球の俳句を最も多く詠んだのは、山口誓子であろう。全句集を見ると、ナイターの入った句が二十三もある。ただ、子規の句が野球を楽しく詠んでいるのに対して、誓子の句には、全く楽しさが感じられない。「ナイター」という新しい季語に挑戦した気配が濃厚である。以下にその中から六句をあげておく。
光ただならぬナイターの区域過ぐ
黒人の選手ナイターただ明るし
九時過ぎて通るナイター不吉な燈
二つナイター空間を二分けに
ナイターの三面鏡を光らしめ
ナイターの明六甲の燈が透けり