天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

日本を詠む(1/2)

 四世紀の中ごろ大和朝廷が全国統一をして、この国を「やまと「おほやまと」と称した。当時、中国はわが国を倭国と呼んだところから「倭(やまと)」の文字を当てた。日の出るところの意味で「日本」を国号に定めたのは、大化改新の頃という。美称として、豊葦原瑞穂国、葦原の千五百(ちいほ)秋(あき)の瑞穂の国、葦原の中つ国、秋津島大八洲などが古い文献に出ている。

  いざ子ども狂(たは)わざな為(せ)そ天地の固(かた)めし国ぞ大和島根は
                  万葉集藤原仲麻呂
*「これ人々よたわけたことはしなさるな。天地の神々が造り堅めたこのヤマトの国で。」
 子ども: 若者や目下の人々に親しみ呼びかける語。

  敷島の大和にはあらぬ唐衣ころも経ずして逢ふよしもがな
                   古今集・紀 貫之
*ころもへずして : 「時をおかずに (頃も経ずして)」を意味する。二句目までは 「衣」から “ころもへずして"”を導くための序詞。

  敷島ややまと島根も神代より君がためとやかためおきけむ
                  新古今集・藤原良経
天皇の御世の永遠を褒め称えた歌。「日本という国も神代の時代からわが君のためにと神々がしっかりと堅めておかれたのだろう。」

  飛びかける天の岩舟尋ねてぞ秋津島には宮はじめける
                  新古今集・三統理平
*「空を飛んでいく天の岩舟を訪ね求めて、神武天皇秋津島大和の国に都を初めて営まれたのだ。」

  立ちかへるみ国の春を疑はず七夜を泣きて心定まる
                       四賀光子
昭和天皇による「終戦詔書」の音読放送(いわゆる玉音放送)を聞いた折の歌であろう。

  大日本恵登呂府(えとろふ)とかきてうち立てししるしの柱も朽ちたるらむか
                       土岐善麿
*寛政10年(1798年)、幕府は今日で言う北方領土の大規模な調査隊を派遣した。この時、近藤重蔵最上徳内と共に択捉島に渡り「大日本恵登呂府」と記された標柱を建てて、日本の領土である事を示した。北海道庁旧本庁舎(所謂赤レンガ庁舎)に標柱のレプリカがある。

  日の本のやまとをのこの みぢかくて 潔きことばは、 人を哭かしむ
                       釈 迢空
  豊蘆原瑞穂の国と美稲(うましね)は神にささげて常喰はざりき
                       穂積 忠
*この国を「豊蘆原瑞穂の国」と称して、そこで採れる美しくてうまい稲を神に捧げて大切にした、という意味。

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天の岩舟 (WEBから)