天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

留魂歌(3/5)

中西 進(講談社学術文庫から)

形見・餞別
自分の思いあるいは相手の思いを形としてやり取りする形見や餞別は、言わば遊離魂の具体的な象徴である。貰ったものを見れば、相手の魂をそこに感じる。
有間皇子が自ら傷みて詠んだ次の歌の「浜松が枝」は、現世の自身の証だったが、期せずして後続の万葉歌人達への形見ともなった。
 磐代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまたかへりみむ
                      有間皇子
磐代の野中に立てる結び松心も解(と)けず古(いにしへ)思ほゆ
                    長忌寸奥麻呂
 翼なすあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
                      山上憶良
古今和歌集には、「かたみ」を直に詠み込んだ歌が十首ほどあるが、次には、人との別離に関わる作品を六首紹介する。
 やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ
                       紀貫之
 あかずしてわかるる袖の白玉を君がかたみとつつみてぞ行く
                    よみ人知らず
 あかでこそ思はんなかは離れなめそをだに後の忘れがたみに
                    よみ人知らず
 大空は恋しき人のかたみかは物思ふごとにながめらるらむ
                      酒井人真
 あふまでのかたみも我はなにせんに見ても心のなぐさまなくに
                    よみ人知らず
 形見こそ今はあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを
                    よみ人知らず
別れる際に、思い出のために餞別の品(衣、ひうち、鏡など)を贈るあるいは貰うことがあり、歌にも詠まれている。東国各地から遠く九州、壱岐対馬へ派遣された防人たちにとって、家族から託された品々は、貴重な思い出となった。次の例など、実に身近な内容である。
 草まくら旅の丸寝の紐絶えば我(あ)が手と付けろこれの針持(はるも)し
      万葉集(防人歌)・武蔵国・妻椋椅部弟女(めくらはしべのおとめ)
旅の丸寝を重ねている内に紐が切れたなら、私の手と思ってこの針を持って繕いなさい、という。
後撰和歌集の別離歌には、いくつもの餞別の品が詠まれている。
 をりをりにうちてたく火の煙あらば心さすがを忍べとぞ思ふ
                       紀貫之
陸奥へ出かける人に「火うち」を贈って詠んだ歌である。
 身をわくることの難さにます鏡かげばかりをぞ君にそへつる
                 おほくほののりよし
遠くの国に行く人に鏡を贈った時に、箱の裏に書いた歌。
 そへてやる扇の風し心あらばわが思ふ人の手をなはなれそ
                    よみ人しらす
旅に出かける人に扇を持たせてやった時の歌。 
 山里の草葉の露もしげからんみのしろごろも縫はずともきよ
                      中原宗興
中原宗興が上野の国へ下向した時、さる女の家に泊ったのだが、去りがたく、二、三日延泊してしまった。しかし出立せざるを得ず、女に衣を贈った。そのときに書き添えた歌である。