天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

小池光歌集『梨の花』(7/11)

■猫のうた(一首で猫らしいと思える歌を含む)
 31首(内「猫」は19首)ある。小池さんの猫好きは、短歌によく表れている。ちなみに、これまでの十歌集における猫を詠んだ歌数は次のようになっている。
  『バルサの翼』(0)、『廃駅』(1)、『日々の思い出』(1)、
  『草の庭』(15)、『静物』(13)、『滴滴集』(38)、
  『時のめぐりに』(15)、『山鳩集』(22)、『思川の岸辺』(39)、
  『梨の花』(31)
『梨の花』では、猫の晩年、死、死後の事柄が愛情深く詠まれていて、感動する。内、十首を以下に紹介する。

  辛うじて立つ足腰をはげまして水のみに行く猫よわが猫
  その前夜をはりのちからをふりしぼり噛み切るまでにわが指を噛む
  紙のごとうすくなりたるなきがらは朝日差す床に横たはりをり
  板の間に横たはりつつ「ぼろ切(きれ)か何かのごとく」なりたる猫は
  猫の骨壺妻の遺影とならびをり秋のしづかなる雨は降りつつ
  死のきはの猫が噛みたる指の傷四十日経てあはれなほりぬ
  野良猫に餌やるひとのかたはらを歩み過ぎたり わが猫は死にし
  猫死んで一年半になりにけり 箪笥のうへのひとつ骨壺
  妻を亡くして漠たるわれをだれよりも慰めくれし汝(なれ)とおもひぬ
  捕らへたるすずめ銜へて見せに来つ褒(ほ)めてやつたらよかりしものを

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梨の花

 

小池光歌集『梨の花』(6/11)

■人名      
 さまざまの分野の関連した人たちの名前が111首に見られる(歌集の19.7%)。小池さんの教養の広さと人間関係の深さを垣間見ることができる。次に大雑把に歌数の多い順にあげる(カッコ内は歌数)。
歌人(23)、作家・評論家(12)、演奏家・作曲家(8)、歌手(7)、俳優・女優・役者(6)、武人・軍人・やくざ(6)、政治家(5)、思想家・哲学者(5)、画家・漫画家(5)、学友、友人、友達(5)、わが子(4)、映画監督(3)、棋士(3)、先生(3)、知合い(3)、力士(2)、皇族(2)、小説の主人公(2)、書家(1)、写真家(1)、作陶家(1)、アスリート(1)、物理学者(1)、教え子(1)、商売人(1)、わが孫(1)。
 歌人の名前が最も多いが、なかでも(斎藤)茂吉は14首に登場して、小池さんの茂吉に対する思いが歌数にも表れている。

  北平(ペイピン)にて茂吉が見たる爪長き宦官のことしばしおもひぬ
  中島敦幼年時代をすごしたる埼玉久喜(くき)にはるのゆふぐれ    
  ヨーヨー・マリベルタンゴのセロの音はめまひ出てゐる身に沁みにけり 
  都はるみの眉毛のなかにあるほくろ遠きむかしよりわれは知りゐる    
  もしわれにいもうとをらば春咲きの桃井かおりの年齢(とし)くらゐなる    
  わが母は生後みつきの赤子なり 乃木大将が腹切りしとき   
  なにがなし眼光弱くなりたりしバラク・オバマをおもふ寒の夜    
  サルトルボーヴォワールが壇上に並び立てるを見たる青春   
  老眼鏡かけて週刊文春のマンガ立ち読みす益田ミリの     
  立石君癌に倒れぬ武者君は蜘蛛膜下出血一撃の死(しに)    
  お父さん、鼻毛出てると夏はいふいくたびもいふ会ふたびごとに 
  小津安の『東京物語』みるたびにおなじところでなみだがこぼる  
  呉清源のいまはのまなこに映りたる白い石あはれ黒い石あはれ  
  数学の虜(とりこ)となりし高校時代倉林先生にわれはしたしむ   
  夫をなくしし西久保さんが菜園にこころをこめて作りしトマト  
  照(てる)国(くに)といふ横綱がむかしをり桜餅など食べて居るかな   
  此(こ)れの世のふかまる闇にひとりゐて蚕(こ)繭(まゆ)を撫づる美知子皇后  
  その名前机竜之介と出るまでに二分三分悶絶のくるしみ   
  パソコンの画面にまなこ近づけて黄庭堅の書を見つるかな   
  桑原甲子雄のふるき写真に見入りたり昭和十五年秋の満州   
  古美術館のガラスケースの中にある魯山人の皿 盗(と)らむとおもふ  
  引退の記者会見に浅田真央うしろをみせてなみだをぬぐふ   
  うつくしきシュテファン・ボルツマンの法則をおもひ出すなり初夏(しよか)の
  ひかりに
  田岡宏美ゆめに出てきてもの言へり三十幾つで死にしをしへご  
  上林春松(しゆんしよう)本店謹製の「綾鷹」の茶をひといきに飲む   
  一人孫のさなにもらひし飴なめて月照る下をわがかへる道

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斎藤茂吉

小池光歌集『梨の花』(5/11)

■固有名詞の使い方 (人名は別に)
 固有名詞の持つ文化的背景や語源、音韻の特性などが短歌一首の特性・特徴を支配する。作者の経歴、生活環境、教養などを知る手がかりともなる。時代が進むに従って世界文明が発展するので、固有名詞は爆発的に増えてゆく。国や都市、自然の地形、動植物、人工の施設、芸術、レクリエーション、身体と病気、職業・衣食住、歴史上の事物・思想 などの分野に固有名詞が分布する。以下にそれぞれについて例をあげよう。

  タンク車はしづまりをれりペルシャ湾より運びてきたるあぶらを容れて
  山形の置賜(おきたま)ごほりに知り人のひとりがをりて山の幸(さち)もらふ
  思川(おもひがは)鉄橋わたる車中にて缶コーヒーのあたたかきを飲む
  電車窓より過ぎ去りしソープランド「太閤」のネオンそれからの闇
  駅まへのシャッター通りに流れゐる有線放送の童謡かなし
  病名にむづかしきもの多くあり「慢性苔癬状(まんせいたいせんじやう)
  日鉱審(ひかうしん)」
  終曲に近づくゴレン・グールドの「ゴルトベルク」をわれは惜しまむ
  『昭和陸軍全史』第三巻読みながらおほつごもりの夜はふけゆく
  酒のまぬわれなれど時に身にしみぬ「酒場放浪記」の生きるよろこび
  ムササビと会ひしモモンガ帽子とりごきげんいかがと言ひにけらずや
  マダガスカルバオバブの木に巣ごもれる鷺族(さぎぞく)家族をわが祝福す
  わが家(いへ)の玄関前の敷石を尺取虫のすすむを見をり
  をりをりにリップクリーム塗ることあり六十七歳のわがくちびるに
  透きとほる「グレンフィディック」のいつぽんを長き月日をかけて空けたり
  日露の役(えき)たたかひたりし祖父(おほちち)の軍用行李が押し入れに残る
  遺品整理士、事件現場特殊清掃士等(とう)の資格ありたり世のつれづれに
  サンスクリット語などに精通してをれる人の老後はいかにかあらむ

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思川

小池光歌集『梨の花』(4/11)

■助詞・助動詞・副詞の使い方
 品詞の選び方、使い方で短歌の醸し出す情緒が決まってくるが、小池さんの場合は副詞の用法に特色が出る。これは多分に斎藤茂吉から学んだ点であるように思う。後で触れるが、ユーモアの雰囲気を感じさせるところに力を発揮する。
 以下に、助詞(を、に)、副助詞(つつ、のみ)、副詞(すなはち)の例歌をいくつかあげる。

  畑中にいつぽんきりの梅の木あり二月二十日を花つけてゐる
  そのむかし武田泰淳にわが読みし房江といふ名の女おもひ出づ
  利根川を小舟(こぶね)にわたりゆきたりし義経主従がまなかひに見ゆ
  をさなき日おもへばこひし臍の胡麻取つたら死ぬとおしへられつつ
  絨毯のうへに落ちたる鉛筆は音もたてずに落ちたりしのみ
  天理教分教会の庭しづかにてハクモクレンの花満開とのみ
  おもひ出づるまでに遠くに母ありて週にいちどをわが訪へるのみ
  畑(はた)隅(すみ)に黒御影石の墓石あり夏のひかりはすなはち照らす
  わが希(ねが)ひすなはち言へば小津安の映画のやうな歌つくりたし
  蹄鉄師といふ職種あり馬の足とみればすなはち蹄鉄を打つ

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蹄鉄

小池光歌集『梨の花』(3/11)

オノマトペやリフレイン
 これらは快い韻律に寄与する。リフレインには、言葉の繰り返し以外に単音の繰り返しを含む。

  いちめんの低き空よりひたひたと悲しきものは降りはじめたり
  足の爪赤く塗りたる姉むすめ青く塗りたる妹むすめああ
  病院庭(には)の満開のさくら見てゐたり雨にぬれてゐる病院さくら
  崖(がけ)として人の齢(よはひ)はあるものか十七歳の崖六十七歳の崖
  辛うじて立ちてゐざりて水のみに行きたる影も忘れざらめや
  あこがれの銀山温泉露天の湯に長(なが)つかりしてくにやくにやとなる
  山前(やままへ)といふ駅ありて二つの山三つの山を前にしてゐる
  いつのまに年とりをりてこまごまと詞書(ことばがき)つく歌のうるさうるさ
  目をあけてしばたたきしばしわが顔を見るがにしたりこの日の母は
  鉛筆を削ること好きなこどもゐてえんぴつぐんぐん短くなるも

 オノマトペについて、仙台文学館「小池光短歌講座」では、次のように語っている。
オノマトペはものすごく印象が強いから、一首一箇所にしたほうがいい。オノマトペが二つ出てくるのはあまりよくない。」「オノマトペをカタカナで書くと目立ちすぎる。」「オノマトペは、上から下に流れる時にちょっとしたクッションになる。非常に大切な役割を果たす。」「当たり前すぎるオノマトペを使うと、歌の自立性が足りなくなる。」

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銀山温泉

小池光歌集『梨の花』(2/11)

■韻律・破調(句跨り・句割れ、字余り・字足らず 含む)
 今回、韻律の面ですぐに気づくのは、破調が多いということ。ほとんどの作品が程度の差こそあれ、破調を含んでいる。ただ、短歌の韻律(五七五七七)を大きく破るものは、あまりない。破調にならざるを得ない要因は、現代の日本に通用している言葉が、文明の発展に伴い急増しているところにある。特に西洋語のカタカナ表記が増えている。衣食住の文化や思想に関わる固有名詞にもカタカナ語があふれている。また日本人の姓名にしても短歌の韻律に収めることが難しい場合が多々ある。

  電車窓より過ぎ去りしソープランド「太閤」のネオンそれからの闇
  赤帽子黄帽子保育園児の一団がなのはなの道あゆみて行くも
  崖(がけ)として人の齢(よはひ)はあるものか十七歳の崖六十七歳の崖
  物理教師やめて九年か二次方程式の根(こん)の公式さへも忘れつ
  立石久(ひさし)君武者幸一君ふるさとにふたりの友はすでに世になし
  タンク車の連(つら)なる中にくろぐろと「クロロホルム専用」の一車輛あり
  パンダの縫ひぐるみひしと抱きしめて百四歳の母の誕生日
  をさなごがをどるバレエはことのほか花あるものぞ「ねずみたちの踊り」
  「ペンパイナッポーアッポーペン」と唱へつつ五百羅漢のあたまを撫づる
  小紋潤おもへば冨士田元彦おもふ事務所の本の山に埋まりをりき

[参考]小池光『街角の事物たち』「リズム考」(五柳書院)より
 *破調の特徴
  A・増音破調(初句と三句のおわりに休止符があるのが短歌リズムの特長。
         この休止を実音をもって埋めようとする傾向が、もっとも
         短歌らしくないリズムを強いる。)
   A1初句増音(七五七七、七五七七)
     七五七七が自然な破調。七五七七は要注意。抵抗力が大きい。
   A2三句増音(五七七七、五七七七)
     高度のテクニック。五七六七のみ可能と思ってまずまちがい
     はない。それ以上はウルトラC。
   A3結句増音(五七五七
     流れどめ、抒情の阻止機能。五七五七にとどめるのが無難。
   A4二句増音(五五七七)
     かなり自由。十音位までは可能。
   A5四句増音(五七五七)
     一番自由。十音はらくらく可能。結果へのなだれ込み方により加速度
     を与える。

  B・減音破調(増音破調に比べ、バリエーションが圧倒的に少ない。
         ほとんどが禁制といって差し支えない。)
   B1初句減音(七五七七)
     日常使える唯一の減音破調。二句以降の短歌らしさがある場合には
     ことさら鮮やかにに目立つ。四音のまくらことばが生き残れた理由
     であろう。
   B2二句減音(五五七七)
     非常に禁制度大。緩急のアクセントが失われ、上句は全く短歌らしく
     なくなってしまう。
   B3三句減音(五七七七)
     これは全く不可能。
   B4四句減音(五七五七)
     二句減音型と同じこと。ごく稀な例はある。
   B5結句減音(五七五七
     禁制度がそれほど高くないが、引用したい例がない。

但し、「字余りになっても正確に言う必要がある。短歌の表現の原則。」とも語っている。

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五百羅漢

 

小池光歌集『梨の花』(1/11)

 小池光さんの第十歌集『梨の花』(現代短歌社)全563首を読み終わった。小池さんの短歌技法については、このブログですでに2019年1月6日~1月26日の「知の詩情」シリーズに要約しておいた。『梨の花』の作品群は、これら様々な技法が融合されて詠まれたもので、現代短歌の最高峰に位置すると信ずる。
 本シリーズでは、この歌集で特筆すべき事項について、簡単にまとめておきたい。詳細は読者諸氏がご自身で歌集を読んで存分に味わって頂きたい。なお、小池さんが短歌講座で解説されている短歌作法を、ご自身の作品に適用して考える機会ともしたい。ただ、小池短歌研究のテーマでもあるので、詳細は後日に回したい。

■表記(ひらがな・カタカナ・漢字の使い方、読み方)
 特にどの言葉をひらがな表記にするかは、短歌を視覚的に鑑賞する上で大変重要になる。

  ゆくりなくおもひいでたりフォークダンス異性の髪のにほふせつなさ
  家の中に入り来し太き夜の蟻をつぎからつぎにみなころしけり
  いろいろのことがありたるとしつきや無二なるいのちつひにうしなふ
  うつくしくわらへる老いし女性ありさくらんぼの実をいま食はむとす
  いただきし西洋梨の実のひとつたなごころにてあたためてゐる
  鉛筆を削ること好きなこどもゐてえんぴつぐんぐん短くなるも
  小さくて痩せつぽつちの猫なりき水のむおとのいまにひびきて
  遠ざかりゆかむくるまを呼びとめてあつあつの芋いつぽん買ふも
  三畳一間にふたり棲めるか「神田川」きくときつねにうたがひにける
  くらやみに定家葛のにほひしてわがひとり住む家はちかしも

 小池さんは、仙台文学館「小池光短歌講座」において、
「短歌はすべてひらがなで書いてみて、どうしても漢字に直さなければならないところを直していけばいい。ひらがなで書くと、歌が美しく見える。」「漢字が多いと短歌の全長が短くなる。短い歌はどこかだめ。伸びやかさがない。」「二語熟語が連打されると、歌らしくなくなる。平仮名にならないか考える。」
と語っている。

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歌集『梨の花』(現代短歌社)