はかなし(6/6)
没年を明らめんとして幾冊を閲(けみ)しゆきつつしきり果敢(はか)なし
木俣 修
*誰かの亡くなった年月を明らかにしようと、幾冊もの参考書を調べている場面。
ひた寒くせせらぐ水のほとりにてはかなく燃ゆる草紅葉あり
木俣 修
病める子が小さき花火遊ぶさまはかなくきよし夕光(ゆうかげ)の庭
前田 透
われに見えぬもの見つつある夏天(なつぞら)の凧(いかのぼり)、ふたすぢの
はかなき尾 塚本邦雄
*「見つつある」のは、作者以外の人か? その人には、凧とそれに付いている
二本の尾が見えていて、作者に話しかけている情景のように思えるのだが。
あるいは夏空を見ての作者の空想か。
ゆきすぎてなににはかなし人をらぬ自動車が楽をかけてとまれる
上田三四二
*行き過ぎて気づいたが、自動車から音楽が流れてくる。人が誰も乗っていない。
たしかにはかないことである。
行き交へる男女が一瞬かさなれるはかなき情死をうつす硝子戸
春日井建
*硝子戸に映ったからであろうが、なんとも想像がたくましい。
はかなし(5/6)
潮(しほ)沫(なわ)のはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろびてゆかむ
斎藤茂吉
米櫃に米のかすかに音するは白玉のごとはかなかりけり
北原白秋
うつし身は果(はか)無(な)きものか横向きになりて寝ぬらく今日のうれしさ
古泉千樫
うつし世ははかなきものをおのづからよく楽しみて遊びけるかも
古泉千樫
うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも
古泉千樫
*うつし: 「うつつ」と同語源。
➀ 現実にこの世に生きている。➁ 正気である。気が確かである。
ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉(こうえふ)散らす
前川佐美雄
あわただしく過ぎつつ楽しあかつきを覚(さ)めてはかなきことありぬとも
柴生田稔
*下句(明方目覚めて、はかないことがあったとしても)の具体が不明。
あわただしく一日が過ぎてゆくのが楽しい、という。
はかなし(4/6)
萩の花暮々(くれぐれ)までもありつるが月出(いで)てみるになきがはかなき
金槐集・源 実朝
*「萩の花の、日の暮れるついさっきまであったのが、出た月の下に見てみると
なくなっている。儚さというものよ。」小林秀雄が好んだ一首。
さむしろに露のはかなくおきていなば暁ごとに消えやわたらむ
新勅撰集・源 実朝
なほざりの袖のわかれの一言をはかなく頼むけふの暮かな
新勅撰集・藤原実氏
庭たづみ行方しらぬものおもひにはかなき泡の消えぬべきかな
新勅撰集・本院侍従
はかなくもあすの命を頼むかなきのふを過ぎし心ならひに
新勅撰集・藤原家隆
はかなしやたきぎつきなん夕をば思はでけふもかへる山びと
宗祇
手すさびの儚きものを持ち出でてうるまの市にたつぞわびしき
大田垣蓮月
*大田垣蓮月は、幕末・明治の歌人。夫と死別後、神光院月心の門に入り尼となる。
父没後、知恩院山内の庵を出て洛外・岡崎に移り住むが、四十を過ぎて新しく
生業の道を求めねばならなかった。口過ぎの術となったのが、自作の歌を刻み
つけた陶器(「蓮月焼」と呼ばれるようになった)を 街角に立って売ること
であった。享年85。
はかなし(3/6)
さきの世の契りをしらではかなくも人をつらしと思ひけるかな
金葉集・前中宮上総
はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花にもの思ふ春ぞへにける
新古今集・式子内親王
*式子内親王は1153年頃京都に生まれ、1201年に京都で亡くなった。およそ
48年の生涯であった。前斎院としてまた出家して独身で過ごした。
そのはかなく過ぎた過去を振り返ると、自分にも花を見て物思いにふける
青春があったのだ、という感懐。
はかなしやさても幾夜かゆくみづに数かき侘ぶるをしの独寝
新古今集・藤原雅経
*をしの独寝(ひとりね): 鴛鴦(おしどり)の一羽が眠っている様。冬の季語。
水中では時折水掻きを動かしている。
中空に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりぬべきかな
新古今集・読人しらず
*「中空にわき立つ壮大な雲が跡形もなく消えてしまうように、我が身が頼りなく
空しくなってしまった。」夫婦別れした後に、女が詠んだ歌。
はかなさをほかにもいはじさくら花咲きては散りぬあはれ世の中
新古今集・藤原実定
*「はかなさというものを、桜の花のほかには、何にも喩えて言うまい。咲いては
散ってしまう、ああ、人の世というもの。」
暮れぬ間の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき
新古今集・紫式部
*「わが身もその日一日が暮れるまでの間の短い命だとも思わずに、一方で人の
命のはかなさを知ることは、悲しいことです。」
世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の煙なりけり
新古今集・藤原清輔
はかなし(2/6)
人を見て思ふおもひもあるものを空に恋ふるぞはかなかりける
後撰集・藤原忠房
*「人と逢って、その人に思いをかけるという思いもあるというのに、私は
確かなあてもなしに恋をしている。これはなんともはかないことだ。」
はかなくて絶えなむ蜘蛛の糸ゆゑに何にか多くかかむとすらむ
後撰集・読人しらず
かくばかりわかれのやすき世の中に常とたのめる我ぞはかなき
後撰集・読人しらず
朝顔をなにはかなしとおもひけむ人をも花はさこそ見るらめ
拾遺集・藤原道信
*「朝顔の花をどうしてはかないなどと思ったのだろう。人のことだって、
花ははかないと見ているだろうに。」
とりべ山谷に煙のもえ立たばはかなく見えしわれとしらなむ
拾遺集・読人しらず
*とりべ山: 京都東山の阿弥陀が峰をさす。鳥辺野はその裾野で火葬の地。
ひと知れぬ恋にし死なばおほかたの世のはかなきと人やおもはむ
後拾遺集・源 道済
*「誰にも知られていないこの恋のために死ねば、世間一般のはかない死であった
と人々は思うだろうか。」
常よりもはかなきころの夕暮はなくなる人ぞかぞへられける
後拾遺集・藤原頼実
明けぬなり加茂の河瀬に千鳥なく今日もはかなく暮れむとすらむ
後拾遺集・円松
はかなし(1/6)
「かりそめ」の歌を見ている時、「はかなし」の歌が気になったので調べてみた。古典和歌では、前者よりもはるかに多く詠まれていた。「はかなし」は、もともと予定した仕事の結果がうまくいかないことを言ったらしい。後に、とりとめない、むなしい、情けない、とるにたりない、などの意味に転じた。漢字の表記では、儚し、果無し、果敢無し など。
日本人は、この世の物事が「かりそめ」だと認識した時、次に生じた感情が「はかなし」であったのだろう。「はかなさ」は夢を連想させた。夢とはかなさを結び付けた歌が大変多い。これらについては、すでに本ブログの「夢を詠う」のシリーズ(2018年1月9日―29日)でとりあげたので、このシリーズでは割愛する。
ゆく水にかずかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり
古今集・読人しらず
*「水にかずかく(水に数書く)」とは、なんとも斬新な表現だが、すでに万葉集に
水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも
と出ている。さらにはその源は「涅槃経」にあるらしい。
宵のまもはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな
古今集・紀 友則
*「宵闇の間からも儚く見えるような夏虫よりももっと心が惑う恋をしている。」
もみぢ葉を風に任せて見るよりもはかなきものは命なりけり
古今集・大江千里
*「風に任せて見るよりも」が熟していない表現に感じられる。「風のふくままに散る
紅葉を見ることよりも儚いものは命であることよ。」という意味だが。
果物のうたーレモン(2/2)
四つ割りにしたるレモンの切り口のみづみづと黄の半月をなす
大西民子
下宿までいだく袋の底にして發火點いま過ぎたり檸檬(レモン)
江畑 實
*下句が、特に発火点が何を意味するのか不明。辞書によれば発火点とは、物質が
空気中で自然に燃え始める最低温度。(比喩的に)争いや事件の起こるきっかけ。
とあるが。これからすると、一首全体が比喩になっているのだろう。
夕空の美しきレモンよさまざまに人老ゆるとも永遠(とは)の紡錘形
松川洋子
言訳を聞かず背を見せゐし妻がしぼりしあとのレモン吸ひゐる
大平修身
*「レモン吸ひゐる」の主語は、妻なのか作者なのか曖昧。作者である方が夫婦関係
の妙がでて良いと思うが。
みづからにもの言はむとし口中の薄切りレモン穴あきにけり
篠 弘
*「みづからにもの言はむ」とは、独り言でも言おうとしたのだろうか。
百年のレモンは爪を立てられて嬉々とおのれの香りを放つ
中野れい子
*「百年のレモン」が何を指すのか? もしかして『東京百年物語-キリンレモン
サンドクッキー』のことか。「国産バターを使った、サクッと軽く、ホロッと
やわらかな食感のクッキーでレモン味のホワイトチョコレートをサンドしました。」
との宣伝文句がある。
未だ何も成し得てをらず限りなく檸檬を輪切りにしてゐるほかは
酒向明美