この世のこと(2/16)
しかばかり契りし中も変りけるこの世に人を頼みけるかな
千載集・藤原定家
*「あれほど愛しあい契りを結んだ仲なのに、あなたはもう私のそばにはいない。来世ならともかく、この世であの人の真心を信じたのに。」
君恋ふる心の闇をわびつつはこの世ばかりと思はましかば
千載集・二条院讃岐
*「あなたを恋い慕う心の闇を歎き歎きしながら、それがこの世だけと思えるのならばよいが、未来永劫の闇に迷いそうです。」
仮寝(うたたね)に果(はか)なくさめし夢をだにこの世にまたは見でや止みなむ
千載集・相模
*見でややみなむ: 見ずに終わるのだろう。
「うたた寝で夢を見て、あっけなく覚めてしまった。あんな夢でさえ、生きているうちに二度と見ることはないのだろう。」
この世をば雲の林にかどでして烟とならむゆふべをぞ待つ
千載集・良暹
*雲の林: 群がっている雲を林に見立てた言葉。
夢とのみこの世の事の見ゆるかなさむべき程はいつとなけれど
千載集・永縁
厭ひてもなほ忍ばるる我が身かなふたたび来べきこの世ならねば
千載集・藤原季通
うき夢はなごりまでこそ悲しけれこの世の後もなほや嘆かむ
千載集・藤原俊成
この世のこと(1/16)
この世として世の中、人の世、うき世(憂き世、浮世)などについて詠んだ作品を見ていこう。人間社会、世間、俗世、世情、景気、男女の間柄、自然界 等々に思いをはせた歌群である。
朝露は消えのこりてもありぬべし誰かこの世を頼みはつべき
*「朝露はほとんど消えるといっても、残るものも稀にあるでしょう。ですが誰がこの世(貴方との仲)を最後まで頼りにできましょうか。」
難波津をけふこそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船
*「難波津を今朝こそ見たが、浦ごとに浮かぶこれらの海を渡る船は、世の中を渡ることに倦んだ船なのだろうか。」
みつの浦: 御津と見つとをかけた、御津は難波津のこと。 うみ渡る: うみは、海と憂みをかけた。
あらざらむこの世のほかのおもひでに今一度の逢ふこともがな
*「わたしはこのまま、この世からいなくなってしまうので、来世への思い出に、もう一度あなたにお逢いしたいのです。」 百人一首にとられている有名歌。和泉式部が死の直前に詠んだという。
契りありてこの世にまたも生まるとも面がはりして見もや忘れむ
*この世にまた生れてきても、面変わりしていて見ても忘れているだろう。
このよだに月まつほどは苦しきにあはれいかなる闇に惑はむ
詞花集・源 顕仲
あの世のこと(6/6)
黄泉は、地面の下にあり、死者が行くといわれる所。冥土、よみじ。なお当然であるが、黄泉の国の具体的な情景は、おとぎ話や伝説以外は不明である。歌の内容に出てくることもほとんど無い。
若ければ道行き知らじ幣(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負(お)ひて通らせ
*「我がはまだ幼く、あの世への道を知らないだろう。たっぷりと贈り物は差し上げます。冥途の使いよ、我が子をどうか背負って行ってやって下さい。」
追ひ及(し)きてとりかへすべき物ならばよもつひら坂道はなくとも
香川景樹
*よもつひら坂(黄泉比良坂): 黄泉の国と現世との境にあるという坂。
呼ばへども答はなくて黄泉(よみ)の島氷の扉かたくとざしぬ
四賀光子
黄泉(よみ)の国にぢぢごばばごは言葉なく相向ひつつ睦みゐますか
宮 柊二
一夜寝て身罷りし母かるがると黄泉比良坂越えて行きしか
中村重義
あの世のこと(5/6)
常世(の国)は、古代人が、海のむこうのきわめて遠い所にあると考えていた想像上の国で、不老不死の理想郷、神仙境とも考えられた。『古事記』にはスクナヒコナノミコトが常世の国に渡ったことが書かれている。
常世(とこよ)辺(へ)に住むべきものを剣(つるぎ)刀(たち)己(な)が心から鈍(おそ)やこの君
*剣(大)刀(つるぎたち): 己(な)にかかる枕詞。剣や大刀は、身に添えて佩くもので、砥石を使って磨いでおくもので、大切にして斎うものであり、また、刀(かたな)の刃(な)に通じるものだからナ(名、己)にかかるとされている。一首の意味は、「死ぬことのない世界に住んでいられたのに。 お前の心得ちがいで、できなくなった。おバカさんのお前 。」浦島太郎の話を踏まえる。
いにしへの常世の国や変りにしもろこしばかり遠く見ゆるは
仏だに猶かりがねの雲がくれ北を常世と今日ぞかへれる
契沖
みむなみの常世の島の くるしさも 言ふことなかれ──。春はたのしき
釈 迢空
日の御碕かみの社の昼たけて常世のくにの浪の音する
*日の御碕: 島根県出雲市大社町日御碕に位置し、島根半島のほぼ西端で日本海に面する岬。
水禽(みづとり)は霊(たま)運びくる鳥にして常世の境をぬけて来し白
大滝貞一
風鐸の常世のゆらぎつばらかに仰ぎて塔影のなかに身を置く
久泉迪雄
*風鐸: 仏堂や仏塔の軒の四隅などにつるす青銅製の鐘形の鈴。
面(おもて)ひとつたづさへ来たる配流とは月を抱(いだ)ける常世の旅か
海(うな)境(さか)のいづくか知らず妣(はは)が国─・常世の楽園ニライ・カナイは
徳山高明
*ニライ・カナイ: 沖縄や奄美群島で,遠い海のかなたにあると信じられていた楽土。記紀の神話に登場する常世の国に相当する。つねに現世と往来できる所とされ,火や稲をはじめ島人の祖先もここから渡来したとされていた。(百科事典から)
あの世のこと(4/6)
来世: 三世(前世、現世、来世)の一つで、死後おとずれてくる世。未来世。後世。後生。来む世。
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にもわれはなりなむ
*「現世で楽しく過ごせるならば、来世では虫にでも鳥にでも、私はなってしまおう。」いかにも酒好きの旅人らしい。
浮き沈み来む世はさてもいかにぞと心に問ひて答へかねぬる
新古今集・藤原良経
こむ世まであざむかれても蓮葉(はちすば)の露を玉とは何たのみけむ
香川景樹
*古今集・遍昭の歌「蓮葉のにごりの染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く」を踏まえる。
来世あらば濃(こき)色のうつくしき馬 しろつめ草の露にぬれつつ
藤井常世
*濃色(こきいろ): 紫根染めを何度も繰り返し染められた黒みがかった深い紫色のこと。しろつめ草: 別名、クローバー。 一首では、目の前のこの世の馬は、あまり美しくないように見えるが。
ありもせぬ来世を思うこの次は短歌なんぞはいらぬ人生
森本 平
あの世のこと(3/6)
いかにせむわが後の世はさても猶むかしのけふを問ふ人もがな
*「私の死んだ後はどうしたものだろう。あの人の後世を弔う人がいなくなってもやはり、今日の忌日を弔ってくれる人がほしいものだ。」
後のよを思ひ置きけん呉竹のその末までも哀れとはみよ
*呉竹の: 世の枕詞になるが、この一首では縁語の働き。
さても身にむなしき鐘の行く末やただ後の世の夕暮の声
心敬
御(み)仏の足のあとかた石に彫り歌も彫りたり後の世のため
いしきだを花舞ひあがる春の日に後の世のごとわれは遊びぬ
*いしきだ: 石階。
後の世は果実と言ひし友ありき狂へる鳥のわれはついばむ
*友をついばむ、とは何を比喩するか?
あの世のこと(2/6)
いかでいかで恋ふる心を慰めてのちの世までのものを思はじ
よしさらば後の世とだに頼めおけつらさに堪へぬ身ともこそなれ
*藤原俊成が、妻(藤原定家の母)になることになる美福門院加賀 に贈った歌。
「よし、それならば、せめて後の世に会おうとだけでも約束してください。あなたの冷淡さに耐えられず死んでしまう わが身かもしれませんから。」
思ふべき我が後の世は有るか無きか無ければこそは此の世には住め
いつ嘆きいつ思ふべきことなれば後の世しらで人の過ぐらむ
*「どの時に歎いたり、どの時に気を病んだりすべきということで考えると、あの世のことは見当もつかず人々は日々過ごしているようだ。」
久(ひさ)に経てわが後の世をとへよ松あとしのぶべき人もなき身ぞ
*「庵の前の松の木よ、久しくながらえて、 私の後生をとむらってくれ。 私を思いだし、私の跡をしたってくれる人とてない孤独の身なのだ。」
死なばやとあだにもいはじ後の世は面影だにも添はじと思へば
新勅撰集・俊恵
*「あの人が忘れられず、いっそのこと死にたいなどと軽はずみは申すまい。
あの世では、あの人の面影すら寄り添ってはくれないだろうから。」