天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

九十九谷

九十九谷

保田

雨晴れて鋸山に靄たつと渚かすめて飛ぶ朝つばめ


鹿能山

東山魁夷描きし「残照」の九十九谷は朝靄の中
十二時のとき刻を告ぐるや神野寺の鐘の音わたる新緑の森
神野寺の片への藪に傾けり高野素十の親子の墓は
ここにもやヤマトタケルを祀りたる白鳥神社ゴルフ場横


    春の田や畦ゆく人の腰曲がる
    代掻の機械操る頬被り
    大臀の媼働く代田かな
    豪農の屋根をしのぐや鯉幟
    夕映の九十九里浜浜ちどり
    引潮の九十九里浜浜ちどり
    それぞれの春田に鷺の佇めり
    懸崖の御堂見上ぐる若葉かな
    新緑の笠森に聞く鐘の音
    神野寺に虚子の足跡山躑躅
    うぐひすや九十九谷の山いくつ
    春霞九十九谷はうす墨に


 「残照」を描いた時の様子を東山魁夷は次のように語っている。

     その時分はバスも通っていなくて、佐貫駅から米を
     背負って山へ登り、頂上の神野寺に泊めて貰って写生
     をしました。九十九谷は小さな山々の重畳する風景で、
     冬枯れの山肌は夕方の薄れゆく光の中に捉え難い色を
     していました。初めは手のつけようのないものに見え
     ましたが、誰も来ない静かな山頂で独りじっと眺めて
     いると、以前歩き廻った甲信の嶺や峠の記憶がよみが
     えってきて、目の前の現実の姿よりはもっと雄大
     情景が浮かんで来ました。そんなイメージと現実が
     重なってこの作品になったのです。

 この絵は、昭和二十二年、第三回日展に出品された。