天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

フランス山

元町

 横浜に本を探しに出たついでに、ひさしぶりに元町、港の見える丘公園方面を歩いた。
元町を歩く度に、三島由紀夫の小説『午後の曳航』を思い出す。高島埠頭をはじめ元町、山下公園外国人墓地など横浜を代表する景観が、二等航海士塚崎竜二と未亡人房子の恋の舞台にちりばめられている。昭和三十八年九月に講談社から刊行されたが、小説の雰囲気を今でも元町に感じるのだ。
外国人墓地入口では、休日に時間を決めて二百円以上の献金で墓地に入ることを許してくれる。今日は、ちょうどそのチャンスに出会えた。何年か前には著名な墓を丁寧に訪ねて歌を詠んだものだが、もはや同じことはできない。ただ漫然と墓地をめぐった。
次に神奈川近代文学館に入る。常設展示に加え島木健作展を開催していた。東北大学の学生時から農民運動に投じ、共産主義者になり投獄される。終戦の数日後に死去した。残念ながらこうした経歴の作家には、昔から興味を持てない。むしろ少数ながら展示されていた吉田満戦艦大和ノ最期』の資料に惹かれた。このノンフィクションの第一稿は、昭和二十年九月頃できあがった。復員後、吉川英治の熱心な勧めで「ほとんど一日を以って」書き上げられたという。色の抜けた色紙に吉田の作った「出撃や征くてにきらめく春の潮」という俳句があった。稚拙であり、迫ってこない。
 神奈川近代文学館を出ると、定番コースになるが、大仏次郎記念館と同居している喫茶店「霧笛」に寄ってブレンドのホットコーヒーを注文する。この店名は、もちろん大仏の小説『霧笛』からとったもの。″二人は谷戸坂を登り始めた。遠くの船の霧笛の声が崖の暗い空の高い深夜の中に聞こえた。尾を港の空に長くひいて、淋しい音であった″という一節がある。
 港の見える丘公園を通って隣接するフランス山にゆく。ここには、「愛の母子像」のブロンズ、大野林火の句碑「白き巨船きたれり春も遠からず」、レンガ井戸遺構などがある。三本の大きなプラタナスや他の樹が枝を広げている。
 今日の公園の林で聞いた蝉の声は心なしか勢いが失せているようであった。乏しい収穫を次にあげておく。

         パンを買ふ元町通り西日かな
         元町は歩行者天国西日差す
         すずかけの下の昼寝をうらやめり


   二百円献じて入れば鳴神の足音聞こゆ外人墓地に
   新しき献花を見たり黒ずめる生麦事件犠牲者の墓
   秋風のフランス山に二人子が母に寄り添ふ「愛の母子像」
   レンガ井戸遺構覗けば蕭々とフランス山に秋風が吹く
   レンガ井戸深さ三十メートルを赤き風車が水汲み上ぐる
   その当時フランス山に井戸ありき赤き風車が水汲み上ぐる