天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

田子の浦

田子の浦港から富士を望む

静岡県富士市の海岸一帯。山部赤人の和歌に詠まれた歌枕である。万葉集の歌は次のようなもの。万葉仮名では、

     田皃之浦従 打出而見者 真白衣 
     不盡能高嶺尓 雪波零家留


通常の表記では、

  田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける


ところで、藤原定家が京都嵯峨の小倉山別荘で選んだ百人一首では、山部赤人の歌は次のように改作されている。

  田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ


多くの人はこちらの方に慣れているので、万葉集の元の歌は地味に感じるようである。が私には、元の歌の方が好ましい。
 JR吉原駅で電車を下りて田子の浦を訪ねた。これが二度目である。前回はいつだったか、随分時が経っていて思い出せない。しかし港に出ると公園も海岸の様子も以前と変っていなかった。ただ、今回はよく晴れているのに富士の空は霞がかかり、おまけに山頂は雲が棚引いて山容が鮮明でなかった。
ところで現在の地図では、ここのかなり広い海岸域に「田子の浦」の名称を付けていが、昔の感じでは、港になっている入り江を中心とした場所を指したのではなかろうか。


      もみづりのはじまる富士の裾野かな
      尿(しと)するや鵙高啼ける田子の浦


  うとうとと電車にねむり声を聞く熱海、函南、沼津、吉原
  田子の浦海の方よりながむれば朝日にかすむ富士の稜線
  近けれど雲に霞に隠れたる富士の高嶺はたふとかりけり
  田子の浦港見守る黄金の釈迦の涅槃の白きストーパ
  吉原の駅を出できて公園の松の木立ゆ見る石油基地
  かすみたる富士の裾野の稜線のうつくしければなみだぐましも
  純白のけむりたなびきうらがなし富士のふもとの製紙工場
  うつくしき富士の裾野の稜線をさへぎりて立つ赤き煙突
  高浪の被害伝へて石碑あり元吉原の見附の跡に
  肩越しに富士の頂かすみたり天の香具山・浅間宮
  高浪を防ぐ手だての堤防は背高泡立草の群落
  口せまき田子の浦港突堤に釣糸垂るる秋ふかみかも
  田子の浦港を出でし船ひとつ光の海の沖に消えたり
  あて処なく海辺をたどる田子の浦赤人の歌くちづさみつつ