天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

原 民喜

終戦後六十年記念のNHK特集で見た映像に、たまたま原 民喜の美しい文章の一節が紹介された。すっかり感心して、さっそくアマゾン・コムで『原 民喜戦後全小説 上・下』講談社文芸文庫を注文した。到着に二週間ほどかかったので、今読んでいる。

   閃光を浴びずにすみし幸いは八月六日朝の厠に
   一撃は頭上にきたりざあざあと家の崩れし後の黒雲
   焼跡に動くかもめかま白なる勤労奉仕の女学生たち
   焼け残る古本店に青年は天文学の本を探せり
   形式に陶酔したる軍隊と罵倒し止まず気弱な私
   美しき花を夢みて逝くめれどその身横たふ春の線路に


 ちなみに、古典文学に材をとって歌を詠むことは、専門歌人が時にとる方法だが、小説から短歌や俳句を作ることは、その内容にもよるがオリジナリティの問題があり、褒められたことではい。例えば、

          初夏の朝の残り香母の部屋
          姿見に母の裸や月の夜
          ほのかなる日焼乳首のそむきあふ
          帯解くや母の部屋から蛇の声
          短夜の仏塔包む沼の闇
          扇風機ベッドに寝ねて煙草吸ふ
          ともづなの交叉に区切る夏の空
          失神のごとくパラソル倒れけり
          夜の公園女の足の蚊を払ふ
          船乗りと初日見てゐる丘公園
          手袋の赤き裏地を少年噛む

これは以前に『午後の曳航』から作ってみた俳句である。季節感あふれる小説なので、俳句にしやすい。どうであろうか?一見して、物語めくので、何かを題材にしていると感じられる。もちろん、どこにも出しはしなかった。