天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

夢の跡

大船観音

 横浜ドリームランドは、戸塚区の丘陵地を切り開き一九六四年に華々しく開業した。当時の日本を代表する一大遊園地であった。ドリームランドから大船駅までをモノレールで繋いだが、わずか一年で設計ミスから走行不可となり、放置された。ドリームランド自体は、二00二年二月まで三八年の長きに渡って営業した。一見多重の仏塔のようなホテル・エンパイアは一九九四年に閉鎖になったまま幽霊のごとく今も立っている。
 ドリームランドの再開発が始まったと聞いて、久しぶりに訪ねてみた。工事申請の看板によると、薬科大学、野球場、墓苑などが建設されようとしている。薬科大学以外は、まだ荒地のままである。

        白鷺が森を飛び出づ威銃
        秋風や不法投棄の夢の跡  
   コンクリートの割れ目の土に根付きたる泡立草の
   生きざまを見よ


   川べりに田のあぜ道に風媒花泡立草はひろがりやまず
   虫すだき泡立草のはびこれるドリームランドの跡地をめぐる
   並び立つハイツ谷間の公園のベンチに憩ふ柿落葉かな
   球場と墓苑つくらば人寄らむ夢の跡地にまた夢を見る
   せんべいを食べておじぎをする鹿の啼き声あはれ秋風の檻


その後バスで大船に出た。そしてこれも久しぶりだが、いつも電車から見ている大船観音に寄ってみた。境内は様変わりしていた。

   「爺は焦げ妹は抉れ母は折れ」橇にのせたる爆心地の石
   被爆石のせたる橇を曳きて來し被爆者の列御仏の前
   千羽鶴刻める橇にのせて曳く御霊やどれる爆心地の石
   タイ人の名前しるせる献灯もまじりてうれし山の参道
   タイ人の家族とをがむ観世音秋のひかりに白くゑまへり
   小麦色の肌の少女が手にあまる花束かかへ胎内に入る
   胎内に入れば台座の大き石ふたつ据ゑられ黒々ひかる
   納経の朱色の文字はタイ語らし胎内仏の前に置かるる