天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

立春

 立春らしい気分を味わいたくて、二度と登ることはあるまいと眺めていた大山に行ってみることにした。海抜一二五二メートル。五、六年前までは、春と晩秋の年二回は登っていたのだが。ただ、この時期に頂上まで行ったことはない。朝は快晴であったが、登り始めると箱根方面から雲が湧き出てきた。昨夜は十分に寝ていないし、体力の心配もあるから、雲が頭上を覆うようなら引き返そうと思いつつ歩いた。登るほどに身が軽くなってきて、ついに頂上に来てしまった。
西行の体力には遠く及ばないが、「年たけてまた立つべしと思ひきや命なりけり大山の峰」といった心境であった。電池切れのマークを気にしつつ、木立を抜けて空に聳える春雪の富士や凍てつく山頂の奥之院をデジカメに納めたつもりであったが、やはり何も写っていなかった。
 
  立春の川の浅瀬に五位鷺は朝日うつろふ水面見てゐる
  立春の山路にのこる凍(いて)雪をふみしめ登る大山の峰
  鹿出でて危険と書ける立札を見つつしのぼる大山の道
  大山の峰下りきたる犬一頭五丁目に立ち下界見下ろす
  日当たりに出づればぬくき大山の山路にやすむ立春の朝
  つづら折山路のぼれば空あけて気高く見ゆる立春の不二
  立春の大山山頂奥之院凍てつく雪に鹿の影見ず
  立春の光あふるる海に見ゆ影くろずめる大小の島
  岩つかみ亭々と立つ樅の木の肌にふれたるわが命かな
  帰るさの電車に見れば空のはて雲居の山となりにけるかも
  たたなづく丹沢山に雲たれてふたたびをくらむ如月の空


        五位鷺の佇む浅瀬春たちぬ
        大山や瓦礫の道の霜柱
        立春の晴れ間はつかに富士見台
        山頂はまぶしかりけり雪しづり
        立春の梢さやけき小鳥かな
        立春の光あふるる伊豆の海