天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

熱海梅園

熱海梅園中山晋平旧居

 鎌倉の梅も小田原の梅もなかなか咲かないので、今日は熱海梅園の様子を見に出かけた。
二月はじめから梅まつりが開催されているが、早咲きの梅や蝋梅のみが寂しく咲いていて、他の梅はまだまだである。バスで到着したら「高瀬一郎歌謡ショウ」の最中であった。艶歌の合間に簡単なトークを交える。鹿児島出身。飴屋の馬鹿息子と呼ばれてなかなか親孝行できず、今日はその飴を売らせて頂いています、とかいって観客を笑わせている。
丹那神社上の道を歩いて来宮神社に向かう。沿道には桜が咲いていた。寒桜の熱海桜である。
来宮神社の上手四百米のところに歌人佐佐木信綱の旧居がある。大楠を見た後、熱海に下りる。
熱海七湯とは「野中の湯」「小沢の湯」「清左衛門の湯」「大湯」「風呂の湯・水の湯」「佐次郎の湯(目の湯)」「河原湯」をいうが、このうち「風呂の湯・水の湯」「河原湯」「清左衛門の湯」に出会った。
今回はじめて起雲閣の庭に入った。明治大正時代の別荘とはこのような趣であったか、と思わせる。鉄道王の別荘の後は旅館になっていたらしいが、現在は熱海市管理の公共施設。入館料三百十円。旅館時代は、船橋聖一、武田泰淳らが滞在して作品を執筆したという。
糸川のほとりには次の坪内逍遥の短歌碑がある。
  ちかき山にゆきはふれれと常春日あたみのさとにゆけたちわたる

熱海の海岸には言わずと知れた金色夜叉お宮の松がある。その横に尾崎紅葉の門弟・小栗風葉の次の句碑が立つ。
        宮に似たうしろ姿や春の月

風葉は、三十六歳という若さで逝った紅葉が中断した金色夜叉の続きの腹案から最終章までを書き上げた。この句のうしろ姿とは、松のことである。以後、この松がお宮の松と呼ばれるようになった。


  歌謡ショウ舞台の歌手を見まもれる熱海温泉郷の半纏
  早咲きの梅めでて聞く歌謡ショウ“泣いて私の首筋かむの”
  梅園に客笑はする歌手のゐてはつか匂へる早咲きの梅
  大楠の親枯れたれど根を分けし子と孫太き幹を分かてり
  早まるな女系天皇容認をあやぶむ声すひもろぎの宮
  初川の流れに春の声きけば熱海芸妓の幟はためく
  くろまつの横に憂ひの歌うたふ貫一お宮のあかがねの像
  
        梅園の坂下にむく黄水仙
        紅梅に鼻近づくる女かな
        梅園に艶歌が似合ふ熱海かな
        探梅の胸きゆんとなる艶歌かな
        大楠の根方めぐれる淑気かな
        うすあかき寒桜ちる起雲閣
        糸川や目白のむるる寒さくら
        河原湯に湯気噴き出づるうららかな