天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

超ベテランと俊英

 今日は「俳句研究」三月号の俳句から気になった作品を取り上げる。
まずは「濱」所属の超ベテラン・村越化石「大年」から。
        未来持つ子に拾はれてゆく木の実
        冬ごもり見えざるものを見て暮らす
        二日はや夢のなか行く一人旅
        氷柱には一顧もくれず日を暮らす

大正十一年生まれだから八十四歳。ハンセン氏病を患い、昭和四十五年には失明。二句目がそれを暗示する。だが、蛇笏賞をはじめ俳壇の主な賞を総なめしてきた人である。いづれも大変判り易い。


 次は「百鳥」所属の俊英(と編集部が呼んでいる?)・望月 周。昭和四十年生まれ。全く知らない俳人
        眠る山即身仏を虫の喰ふ
        みづうみや熊の仔とても神隠
        おのが巣にとまりて蜂の凍てにけり
        狐火や八代集を嗜みに
        工業用ダイヤモンドの四日かな

一句目と三句目は結構だが、他はどうも思わせぶりだし、取り合わせがピンとこない。俳句は一読して腑に落ちるものでないと名句にはなり得ない。なんとなく判るのではダメで、韻律やシュールなイメージでよいが、一瞬に読者に感得できる作りであるべき。