天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

西行庵

西行庵

 さて今日は先ず、奥千本入口までバスに乗る。金峰神社義経かくれ塔を見る。そこから急坂を登り苔清水へゆく。ここには、次の俳句が板に書かれて木にたてかけられている。
     凍てとけて筆に汲み干す清水かな
                芭蕉
     汲み干さじ強の日照りも苔清水
                宗顕
また次の芭蕉句碑はよく知られている。
     露とくとく心みに浮世すすがばや   
苔清水から谷を少し下ったところに西行の木像を安置した吹きさらしの小さな庵がある。実は、以前にここに来たことがあるのだが、全く印象が異なっている。西行はここに三年間住んだという。もちろん吉野へは何度も通ったことであろう。
  待たれつる吉野のさくら咲きにけり こころを散らす春の山風
                        西行


     谷わたる鶯そこに西行
     苔清水崖道くだり西行
     西行の像に散りくる桜かな


 中の千本へ戻り、苦しい思いに耐えて谷を越え、如意輪寺と後醍醐天皇陵を訪ねる。如意輪寺は、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めたときに勅願所となりまた崩御の場所ともなった。楠木正行に関わる事跡でも有名。大阪四条畷の決戦に向かうにあたり、楠木正行の一族郎党百四十三人が、吉野朝に今生の別れを告げ、後醍醐帝の御陵に詣でた。その折、如意輪堂の扉に次の辞世を鏃で刻んだ。
  かえらじと かねて思えば梓弓 鳴き数に入る 名をぞとどむる
時に正行二十三歳。この扉も宝物殿で見た。庭には、芭蕉の句碑、尾山篤次郎の歌碑がある。
     御廟年経て忍は何をしのぶ草    芭蕉
  延元のみかどの みあしふましけむ 山柿
  赤くつぶれたる このみち
                      尾山篤次郎

   
     うぐひすや谷ひとつ越え如意輪寺  
  正行が鏃に書きし辞世といふ黒き扉にかぼそく残る
  うつろなるまなこに見つめ給へりき金剛蔵王権現の像
  
 近鉄特急に乗って京都に帰る。夕方は、ホテルの近くの誓願寺と本能寺を散歩した。


     誓願寺椿ちるなる扇塚
     汗ばむやビルの谷間の本能寺
  本能寺の変の戦死者慰霊碑に森蘭丸の名のあるあはれ