天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

花の詩情(2/6)

吉野山の一目千本(webから)

生と桜
 わが国では、入園式、入学式、入社式また卒業式も桜の咲く頃に行われる。国の年度初めまでがこの時期になっている。桜花は門出の象徴であり、日常生活もうきうきしてくる。
     二日酔ひものかは花のあるあひだ     松尾芭蕉
     眠たさの春は御室の花よりぞ       与謝蕪村
     銭湯で上野の花の噂かな         正岡子規
     杣の子の焚いてくるると花の風呂     飴山 實
     オメデタウレイコヘサクラホクジヤウス  川崎展宏
この句の詞書には「卒業生 札幌で挙式」とある。
     人体冷えて東北白い花盛り        金子兜太
桜花の時期に弘前を訪れた折に、行き帰りの電車の窓から東北の山々に咲く桜を眺めた時の実感がまさにこの句の通りであった。
     荒々と花びらを田に鋤き込んで      長谷川櫂
桜はその語源からして田の神に関係しており、稲の豊凶を占う目安にされたように、人の生活に密着していた。この句はそうした背景を思い起こさせる。
     花冷(はなびえ)のちがふ乳房に逢ひにゆく 眞鍋呉夫
これも生に直結するエロスの断面を「花冷(はなびえ)」という季語が強調している。
また子供が花と一体になり親しむ姿は、生そのものを感じさせる。
     湯の少女臍すこやかに山ざくら      飯田龍太
     わらんべの顔拭いてゐる桜かな      大嶽青児
     湯に立ちて赤子歩めり山桜        長谷川櫂
花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜へと変わった。いわゆる桜の花見は、嵯峨天皇によるものが記録に残る最初のものらしい。
桜花といえば西行を先ず思い起こすのが和歌、俳諧の世界である。
  花見にとむれつつ人のくるのみぞあたら櫻のとがにはありける
                      西行山家集
     花あれば西行の日とおもふべし      角川源義
     花冷や風の匂ひの西行庵         角川春樹
     散る花を追うて一生をすごしけん     長谷川櫂
     京吉野けふ高遠の櫻人          小澤 實
花見に出かけ浮かれて飲食する文化も、生を謳歌するわが国の特徴である。飲食、迷子、喧嘩、酔いどれなどを詩歌の題材にするのは、俳諧が盛んになってからのこと。小林一茶が幅広く詠んだ。
     木(こ)のもとに汁も鱠(なます)も桜かな     芭蕉
     花に来て鱠(なます)をつくるおうなかな     蕪村
     蕗の葉に煮〆(にしめ)配りて山桜      小林一茶
     上下(かみしも)の酔倒(よひだふれ)あり花の陰  一茶 
     年寄の腰や花見の迷子哉            一茶 
     江戸声や花見の果の喧嘩かひ          一茶 
     土器に花のひつつく神酒(おみき)かな     子規
     下界より箱膳運び花の宴        山口誓子
桜の名所としては、第一に吉野山がよく知られている。六七一年に役行者が金峯山(大峯山)上で蔵王権現を感得し、その姿を桜の木に刻んで以降、桜は御神木として崇められ、祈りを込めて植樹が続けられた。歌人のなかで西行はとりわけ吉野の桜を愛しみ、吉野と桜を詠んだ歌は五十首を越える。以来、吉野山は多くの文人墨客が訪れる歌枕になった。
     これはこれはとばかり花の吉野山     安原貞室 
     命ありて春ありて花の吉野山       加舎白雄
     山又山山桜又山桜           阿波野青畝
     吹き上げて谷の花くる吉野建       飴山 實
吉野建とは、吉野地方独特の建築様式で、山の斜面等を利用した家の一部を 空中に迫り出すようなかたちで 建てられる。
     千本の花一望に暗みたり         角川春樹
吉水神社境内から一望する吉野山の桜の情景で、「一目千本」と呼ばれる。この句は、結社の句会を吉野で開催した折の作。
多くの俳人が花の吉野を訪れているが、わけても長谷川櫂は毎年、吉野で桜句会を開催している。句集『吉野』のあとがきに次のようにある。
「櫻花壇は吉野山でいちばん眺めのいい旅館だった。・・・毎春、櫻のころにここで花見句会を開いてきた。いわゆる吉野建で大広間から見わたす花ざかりの吉野山は天下の絶景である。」
     一望の花に浮かぶや大広間        長谷川櫂
     寝て桜覚めて桜や花の宿         長谷川櫂
ちなみに京都の嵯峨が花の名所として一般化したのは江戸中期頃からという。蕪村は嵯峨の花見によく出かけたようだ。
     夜桃林を出て暁嵯峨の桜人         蕪村(61歳)
     花の香や嵯峨の燈火(ともしび)きゆる時   蕪村(62歳)
     嵯峨一日(ひとひ)閑院様のさくら哉     蕪村(63歳)