天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

吉野朝宮址

吉野朝宮址

 五月二日、奈良県吉野に行く。京都から近鉄特急で橿原神宮経由終点の吉野まで、意外とすいていた。吉野といえば数週間前の桜の時期が一番混み合うのであろう。雨が降りそうなくらい曇っている。先ずは金峯山寺蔵王堂、吉野朝(南朝)宮址を見てまわった。蔵王堂の大きさと吉野朝のはかなさに感じた。南朝四代の天皇たちの歌が碑で紹介されている。
  袖かへす天津乙女も思ひ出ずや吉野の宮の昔語りを
                   後醍醐天皇
  吉野山花も時えて咲きにけり都のつとに今やかざさん
                   後村上天皇
  わが宿と頼まずながら吉野山花になれぬる春もいくとせ
                   長慶天皇
  見しままに花も咲きぬと都にていつか吉野の春を聞かまし
                   後亀山天皇

 吉水神社は、源義経静御前と潜伏していたところであり、また後醍醐天皇の御座所にもなったところである。義経の鎧や静の衣装が保存されている。今夜の宿である竹林院群芳園に旅装を解き、ひとりで奥千本を目指して坂を上る。日が西に傾いていたので、奥千本までゆくのは明日にまわすことにする。花矢倉は、義経の家来・佐藤忠信が、ここで奮戦して自決する能「義経千本桜」で名高い。花矢倉と道を隔てた向かいの坂に雲居の桜があり、次の後醍醐帝の御製で有名。
  ここにても雲居の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに 

今日は吉野水分神社で引き返した。吉野水分神社門前には、本居宣長の歌が紹介されている。
  みくまりの神の誓ひのなかりせばこれのあが身は生れこめやも
  ちちははの昔想へば袖ぬれぬみくまり山に雨はふらねど

古今集掲載の紀貫之の歌もここに関係するらしい。
  こえぬまは吉野の山の桜花人づてのみに聞きわたるかな

今日の宿の竹林院の庭は名園として有名である。西行の歌碑もある。
  吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたに花をたづねむ


  水あをみゆたけく流る宇治川の岸辺まぶしき菜の花のむれ
  白々と葉裏かへしてざはめける竹群すぎて木津川わたる
  たたなはる吉野の山を後にして空にたゆたふ白鷺の群
  吉野山流浪の果てに色あせし義経の鎧静の衣装
  吉野山中千本の湯に浸る欅若葉の中の三日月

     先づくぐる花の吉野の発心門
     花矢倉桜の首のそこここに
     雉子啼く佐藤忠信花矢倉
     うぐひすや横川覚範供養塔
     調弦の琴夕映の八重桜
     九十九折上千本の夕ざくら
     夕影の欅若葉や湯を愛づる