天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

太平記

 五月の連休で奈良県吉野にいったのだが、動機は再び西行義経南朝などの跡を見たいと思ったからであった。南北朝の歴史については、あらかじめ『太平記』を読んでおくべきであったのだが、結局旅から帰って解説書を買った。松尾剛次著『太平記』(中公新書)と兵藤裕己著『太平記〈よみ〉の可能性』(講談社学術文庫)の二冊である。前者を読み終わった。著者の見解が面白かった。
 先ずは『太平記』の作者あるいは編者について。足利室町幕府が恵鎮教団に編纂を命じたこと。それにしては足利尊氏などを悪者あつかいにし、後醍醐天皇楠木正成を好意的に記述しているのは何故か?その理由は、『太平記』が書かれた意図にあると、著者は書く。南北朝動乱で死に、怨霊になった人々、つまり後醍醐天皇や皇子達、楠木正成の一統などの鎮魂にあり、モチーフは、儒教的道義論と仏教的因果応報論の二本柱であった、という。当時でもまだ平安朝の昔と変らず、人々は怨霊の存在を信じ、その霊を鎮めようと努めていたのである。
 南北朝と前夜の歴史の跡は鎌倉にもあるので、日頃の散歩のついでにいくらでも訪ねることができる。本を読んだおかげでさらに思いが深くなった。