天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

蕪村俳句(4)

 蕪村俳句集の遺稿を読んでいるが、なんとも古典を踏まえた句が多い。現代ではとても考えられない。


     笋や柑子ををしむ垣の外
     *これは『徒然草』の「大きなる柑子の木の枝もたわわに
      生りたるが、回りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと
      さめて、この木なからましかばとおぼえしか」という段
      からきている。垣があることによって、盗む人がいる
      ことをあらわに示しており、人間の悲しい性を見て吉田
      兼好は、興ざめる思いをしている。この垣を作ったのは、
      兼好と同類の隠遁者なのである。ところで、この句の笋
      (たけのこ)はどこに生えているか?もちろん、垣の外
      である。


     唐きびのおどろき安し秋の風
     *これは、古今集の名歌、藤原敏行作「秋来ぬと目には
      さやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を
      踏まえている。唐きびとコラージュしたところが俳諧
      である。
      ところで「安し」という漢字を当てたのは意図あって
      のことであろうか。唐きびが熟れて揺れていることに
      豊作の安心感がある、ことを匂わせたか?


この句の横に、次のしみじみとよい句がある。
     看病の耳に更けゆくおどりかな
     *病人の面倒を見ている作者(?)の耳に盆踊りの
      にぎわしくもどこか寂しい音が聞こえて、夜が更けて
      いくのだ。看病しているのは、作者=蕪村では、興ざめ
      である。遊びたい年頃の娘と鑑賞するのがよい。


次に五七五の句順をくづしたり字数の多い破調の例をあげる。
     更衣野路の人はつかに白し     五五七
     山守の月夜野守の霜夜しかの声   八七五
     鹿鳴くや宵の雨暁の月       五五七
     榎時雨して浅間の煙余所に立つ   八七五
     雪舟の不二雪信が佐野いづれか寒き 七七七